カキ養殖の絆が苦境を支える 広島と宮城・気仙沼の連携物語
瀬戸内海で発生した養殖カキの大量死により、深刻な被害を受けた広島県の生産者たちに対して、宮城県気仙沼市の生産者たちが支援の手を差し伸べています。これは、まもなく15年を迎える東日本大震災の際に、広島側が津波被害に遭った気仙沼を支援したことへの「恩返し」としての動きです。長年、市場で競争関係にあった両県の漁業関係者たちが、苦境の中で絆を深め、互いに高め合おうとしています。
震災時の広島からの支援が礎に
2011年3月11日の東日本大震災では、太平洋沿岸部を襲った津波がカキの養殖いかだを飲み込み、宮城県内のカキ養殖設備の被害額は約115億円に上りました。当時、広島県はすぐにライバルへの支援を決断し、2011年8月と2012年6月に養殖いかだ計200台分の資材を気仙沼市に提供。派遣された広島県内のカキ生産者らが現地でいかだ作りに取り組みました。
県漁業青年連絡協議会の会長として現地に赴いた「森尾水産」代表の森尾龍也さん(50)は、「自分が同じ状況に置かれたことを想像した時に、直接養殖に関わる支援がしたかった」と語ります。カキを食べる文化を守るためには、東日本の代表的産地の復興が不可欠だという思いがあったのです。
宮城側の感謝と復興の歩み
宮城県漁業協同組合唐桑支所では、500~600台あったカキいかだが津波で全滅しました。当時、支所運営委員長を務めていた畠山政則さん(71)は、「津波で全てを失い、廃業寸前の業者も多かった中、まさか広島から来てくれるとは思わなかった。絶対に唐桑のカキを復活させなければという気持ちになった」と振り返ります。
農林水産省の統計によると、宮城県のカキ(殻付き)の年間生産量は、震災前年の2010年は4万1653トンでしたが、2011年は1万3321トン、2012年は5024トンにまで落ち込みました。しかし、広島の支援などもあり、2014年には2万トン台に回復し、その後は2万トン前後で推移しています。畠山さんは「我々は広島に足を向けて寝られない」と感謝の念を述べています。
絆が続く相互支援の歴史
震災で生まれたつながりは、その後も継続しました。2014年の広島土砂災害や2018年の西日本豪雨では、気仙沼のカキ生産者らが集めた数十万円の義援金が広島県に届けられました。広島側も、大震災直後に森尾さんら生産者が「広島かきの会」を結成し、復活した気仙沼のかき祭りの手伝いに赴くなど、被災地を長期的に応援してきました。
新たな苦境での恩返しの動き
昨年秋から影響が広がった瀬戸内海でのカキ大量死では、広島県内で場所によっては最大9割ものカキが死ぬ深刻な被害が出ています。一方、気仙沼では、2024年から2025年にかけて高水温による不漁に悩み、昨年7月のカムチャツカ半島を震源とする地震に伴う津波でも被害が出るなど、余裕がある状況ではありません。
それでも、唐桑支所の生産者らは広島を支援しようと、2026年2月から募金活動を開始しました。今月中にも広島県内の漁協が組織する「広島かき生産対策協議会」へ届ける予定です。唐桑支所の千葉明宏支所長(42)は、「規模の小さい業者が多い中、精いっぱい集めたお金。少しでも対策や原因究明に役立ててほしい」と話しています。
未来に向けた連携の誓い
森尾さんは、「つながりの大切さをしみじみと感じている。苦しくてもカキ文化をなくさないよう、歴史ある産地が連携し、高め合っていきたい」と語りました。この相互支援は、単なる一時的な助け合いではなく、持続可能な産業と文化の継承を目指す深い絆として、今後も続いていくことが期待されます。



