トヨタ自動車の社長・会長や経団連会長を務めた奥田碩(おくだ・ひろし)さんが死去したことが12日、関係者への取材でわかった。93歳だった。
トヨタでの歩み
1955年、トヨタ自動車販売(当時)に入社。その後、トヨタ自動車工業(同)と合併して現在のトヨタ自動車となった後の95年に社長に就任した。創業家以外では28年ぶりのトヨタの経営トップとなった。その後、99年から2006年まで会長を務めた。
社長時代は、若者向けの販売店をつくるなど国内の販売立て直しに力を入れる一方、米国や欧州などで工場を新設し、拡大戦略を進めた。97年に、世界初となる量産ハイブリッド車(HV)「プリウス」を当初計画より前倒しで発売。次世代の車のキーワードに「環境」を打ち出し、エコカー市場でもトヨタの存在感を高めた。トヨタがのちに年間の世界販売1千万台を達成する土台をつくった。
財界活動と晩年
財界活動も積極的だった。99年に旧日経連の会長に就任。日経連と旧経団連が統合し、新団体の日本経済団体連合会(いまの経団連)が02年に発足すると、初代の会長に就いた。
政府が進める経済政策の司令塔といわれた経済財政諮問会議の「民間議員」を務め、社会保障制度の見直しなどを盛り込んだ骨太の方針をまとめた。政官界に持つ太いパイプをいかし、財界総本山の代表として影響力を発揮した。
08年にトヨタの取締役を退任。12年には日本政策金融公庫から分離・独立した「国際協力銀行」の総裁に就き、海外で事業展開をめざす日本企業を支えた。18年にはトヨタ相談役も外れ、トヨタとのかかわりはなくなった。



