創業80年の老舗ミシン専門メーカー、アックスヤマザキ(大阪市生野区)の3代目社長、山崎一史氏(48)は、模倣や巨大企業との攻防に直面しながら、知財を経営戦略に組み込み、競争力を築いてきた。特許で守りを固めつつ、さらに次の価値へとつなげる知財経営は、中小企業が独自価値を磨き続ける一つの道筋を示している。
宇宙服修理の未来を描く「MIRAIミシン」
「立体物に直接縫い付けられる弊社の特許技術を世の中に広めてほしい」。2023年、トヨタ車体(愛知県刈谷市)のいなべ工場長(当時)から連絡があった。この技術は車の内装などに用いられるもので、山崎社長は依頼に応えようと、一般向けに応用したミシンの開発に着手した。
こうして生まれたのが「MIRAIミシン」だ。電動工具のように手で持って使い、ソファやサドルなどに直接ステッチを施せる。宇宙空間で破損した宇宙服をその場で修理する未来を描いたコンセプトモデルとして、昨年の大阪・関西万博で披露され、反響を呼んだ。
変革のヒントはMBA、毛糸ミシンの大ヒット
他社の特許技術に新たな価値を与える現在の姿に至るまでには、模倣との攻防を含む長い試行錯誤があった。山崎社長は「最初から知財経営を強く意識していたわけではない」と話す。05年、祖父が創業した自社に入社。ミシンの急激な市場縮小や為替変動が重なる中、主要取引先が経営悪化に陥り、受注も急減した。山崎社長は取引先に頭を下げ、商品を買ってもらう「お願い営業」を続けた。
「売り上げを追っても利益は残らず、独自性の乏しい商品は未来を描けない。この業界を何とかしたい」と変革のヒントを求め、10年にグロービス経営大学院大阪校(大阪市淀川区)に入学し、MBAを取得。学びの中で「独自価値を生み、知財で守る」との経営戦略へと大きくかじを切った。
模倣との攻防、海外での特許取得
転機となったのが、15年に発売した子供向けの「毛糸ミシン」だった。子育て世代の母親たちの声を聞くと、「小学校でミシンを習ったことをきっかけに、糸掛けを難しく感じ、逆に苦手になった人が少なくなかった」という。山崎社長は「ならば、子供でも簡単で安全に使えるものを作ろう。毛糸で縫う体験ができればいい。生活者の課題から生まれた独自の仕組みを特許で押さえた」と振り返る。
同年、約1億円の赤字が見込まれる中で社長に就任。「1年で黒字にできなければ社長失格。全部責任はとる」と宣言した。毛糸ミシンは大ヒットし、翌年に黒字化。累計販売は15万台を超えた。
だが、価値を生み出せば模倣される。18年、ドイツのおもちゃ見本市で、山崎社長は毛糸ミシンの類似商品を目の当たりにした。当時は海外での特許取得前だったが、山崎社長は海外市場を視野に、日本の特許庁に、1回の手続きで複数国での特許取得を目指せる特許協力条約(PCT)に基づく国際出願を行っていた。その後、米国などで特許を取得し、毛糸ミシンの類似商品を展示した海外大手メーカーに通知した結果、販売は中止された。
知財観の変化と世界への挑戦
その後も模倣を巡る攻防は続く。現在も毛糸ミシンの技術を模倣したとみられる海外メーカーに警告書を送っている。「特許を取れば安心ではない。権利を守るにも高額な費用と多大な労力がかかる。それが中小企業が世界で戦う現実だ」と山崎社長は語る。
経営の経験を重ね、山崎社長の知財観も変わった。「生活者の声から独自の価値を生み出す。知財で守りながらさらに次の価値へとつなげてきた」という。大手と同じ土俵で競うのではなく、困りごとから新たな用途を見いだし、その市場で選ばれる価値を創る。特許はその独自性を守る手段だ。「まずは世界に認められる独自の価値を持つ製品をつくることが大事だ」と強調する。
今、その考えを海外でも形にする。「改めて現地の声に耳を傾けた。ニッチな需要を基にリブランディングや商標も視野に入れ、新たな市場を開拓していきたい」と話している。



