アフガニスタンなどで長年にわたり人道支援に取り組んだ医師、中村哲さん(1946~2019年)の評伝『炎と水 中村哲と名もなき人たちの旅』(集英社)を、ノンフィクション作家の山岡淳一郎さん(67)が刊行した。戦禍や干ばつで荒廃した地を緑の大地に変えた中村さんの人物像を、深く関わった人たちへの取材を通じて浮き彫りにしている。
現地での「カカムラ」の呼び声
山岡さんは現地で日本人と分かると、「カカムラ(中村のおじさん)」と何度も呼びかけられたという。「信頼が社会に浸透していることを感じた」と振り返る。執筆のきっかけは、コロナ禍の医療現場の混乱を取材したことだった。「『医は仁術なり』と言われるが、日本の医療に『仁』はあるのか。考えているうちに、中村さんの顔が浮かんだ」と山岡さんは語る。生前に面識はなかったが、2022年から国内やアフガニスタン、パキスタンを巡り、100人以上への取材を重ねた。
福岡での青春時代と苦悩
福岡で過ごした青春時代を知る人たちの話から浮かび上がるのは、生き方を求めて苦悩する青年の姿だ。中学1年の冬、敬愛していた伯父で作家の火野葦平が自死した。中村さんは中学3年の初夏にキリスト教の教会に通い始め、間もなくクリスチャンになった。山岡さんは、教会の牧師に会う。全身を水に浸す入信の儀式「浸礼」を授けてほしいと頼まれた牧師は、自身の経験の浅さなどを理由に「もうしばらく待ってくれ」と伝えたが、すぐに受けたいと言い張って聞かなかった姿を思い起こす。「生きるためのヒントを宗教に求めたのでしょう」と山岡さんは推測する。
九州大学時代の葛藤
九州大医学部に進学後、学生運動で勾留されたり、女性との恋愛が破綻したりして、悩む様子も明かされる。山岡さんは「最初から、完璧な『中村哲』がいたわけではなかった。誰もがそうであるように、七転八倒しながら、『中村哲』になっていった」と話す。その羅針盤となったのが、キリスト教思想家、内村鑑三の著書『後世への最大遺物』だったと指摘する。同書には、後の活動を動機づけたという言葉「他の人の行くことを嫌うところへ行け、他の人の嫌がることをなせ」が引用されていた。
評伝が描く中村哲の軌跡
山岡さんは「人を助けたいという情熱を持つ一方で、人を包み込む優しさもあった」と中村さんの人柄を語る。本書は、中村さんの生身の人間像を描き出すことで、多くの人にその生き方を伝えようとしている。



