プロ野球・阪神タイガースがセ・リーグで2年連続優勝を果たした。1950年の2リーグ制以降で連覇は球団史上初めてとなる。近年はAクラス(3位以上)入りが続き、かつて負けてばかりで「ダメ虎」と揶揄されたチームの面影はない。
黄金時代の到来
ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布のバックスクリーン3連発で有名な85年の日本一までさかのぼると、翌86年から90年代は12度のBクラス(4位以下)、うち8度は最下位に沈むという弱さだった。
だが2000年以降はリーグ優勝が4度、日本一が1度。Aクラスは27シーズンのうち18回。特に矢野燿大監督が就任した19年以降から今季まで8年連続でAクラスをキープしている。しかも3位は2度(19、22年)だけ。大型連敗や長期低迷に陥ることなく、毎年のように優勝争いに絡んでいる。
編成面での改革
チームの編成の方針が大きく変化した。かつてはフリーエージェント(FA)や外国人の補強に依存していた傾向があった。それは03年、05年の優勝につながったが、その後は長くリーグ制覇に届かなかった。
16年に就任した金本知憲監督が改革に着手し、打線の若返り、生え抜き有力選手の発掘・育成にシフトした。ドラフト指名や外国人選手は「即効性」だけにこだわらず、必要な補強ポイントを重視する方針に踏み切った。
投手では、才木浩人(16年ドラフト3位)や村上頌樹(20年同5位)、野手では大山悠輔(16年同1位)、近本光司(18年同1位)、佐藤輝明(20年同1位)、森下翔太(22年同1位)ら、主力の大半が生え抜き選手だ。
体調管理への配慮
藤川球児監督が指揮する25年から、故障者が少ない。監督自身は現役時代、リリーフ投手として調子の良しあしに関わらず抑えてきたが、体の酷使を続けてきた。
監督に就いてからは、選手に疲れが見えたり、パフォーマンスが落ちたりすれば、状態が上がってきた2軍の選手と代えて再調整させている。背景には「組織のためにつぶれてほしくない」という思いがある。コンディション維持のために主力選手をスタメンから外すこともあった。チームの「心臓」に例えるブルペン陣は、勝負の9月になるまでは連投は極力避けた。
一方で、若手の出場機会を増やし、レギュラー争いを活性化させることで戦力の底上げも図った。野手では高寺望夢、投手では工藤泰成や木下里都らが台頭するなど、育成と勝利の両立ができている。
経営面での改革
球団の安定した収益も戦力強化につながっている。1990年代後半、窓口で手売りだった入場券の販売手続きをコンピューター化し、売り上げを効率化。独占契約を結んでいたグッズの製造業者を複数にし、良品の質と量の改善に成功した。
98年には野村克也監督、2001年は星野仙一監督を招聘し、球団OBが就く慣例をなくした。優勝した03年はFAで金本知憲を獲得するなど大規模補強を行い、観客動員300万人超えを達成した。この年以降、300万人前後で推移し、近年は12球団トップを誇っている。
未来への取り組み
25年に「日鉄鋼板SGLスタジアム尼崎」など2軍施設を新設した。球場の方角やグラウンドの形状は甲子園と同じで、本拠と同じ感覚でプレーや調整を行えるのは大きな強みだ。室内練習場の広さは甲子園の室内練習場の約1.5倍。最新鋭の分析機器を搭載したブルペンなど施設が整っている。
独立リーグとの交流も約3年前から強化した。球団の元選手をコーチ・監督として派遣する人材支援や、独立リーグの連合チームを甲子園に招いて2軍と試合もする。
25年には球団に「野球振興室」を立ち上げた。少子化などにより野球は競技者減少に直面している。加えて公立中学校の部活動の地域展開が本格化することで、さらに「野球離れ」が進むと危惧。そこで、球団が支援して兵庫県西宮市内に中学生の軟式野球クラブチームを作った。自球団の強化だけでなく、野球界全体の発展にも目を向けている。