3か月間入院するはずだったヒデキ(46)の入院生活は、わずか3日で終わった。メダデ教会の牧師、西田好子(69)は慌てて入院先の病院に電話した。処方された薬を意地でも飲まないと言って暴れたらしい。「暴言がひどく、もう見られません」。病院もお手上げの様子だった。
西成に戻ってきたヒデキの顔を見た西田は、あらん限りの罵倒の言葉をぶつけた。
〈酒飲んで死にたいんか。そんな酒飲みたいなら、死んで香典で酒買うて飲め。死にとうないなら、なんで病院、出てくるんや〉
アルコール依存症もしくは、それに近い状態の人間には、厳しい言葉よりも、適切な治療が必要だ。何人も依存症者を世話してきた西田もそれは分かっていたが、どうしても怒りを抑えられなかった。行き詰まった。福祉事務所に再び連れて行ったが、入院を認めてもらった直後のことだ。「別の病院を探して」というお願いは虫が良すぎる。信徒の住むアパートにもう一度頭を下げたが、答えは「ノー」。他の病院にも西田が問い合わせたが、本人の意思が希薄では治療は難しいと断られた。
路上に居場所はなく、囲い屋の餌に
〈ヘレン・ケラーは、その額にサリバン先生の涙が落ちて愛を知ったんや。ヒデキも変わると思ったけど甘かった。お手上げや〉
ヒデキは退院後、再び釜ヶ崎(大阪市西成区)での路上生活に戻り、路上のそこかしこで行われている日雇い労働者や野宿者の酒盛りの輪に加わろうとした。連れ戻しに行く西田がそこで目にしたのは悲しい現実だ。「こいつ同じことばっかりしゃべるから、うっとうしいんや」「おばちゃん。こいつ、もう来ささんといてくれ」
路上には路上の「上下関係」があった。ヒデキにはどこにも居場所がなかった。男たちに追い払われ、下を向きながら、背中を丸めてとぼとぼ歩く姿が、西田には哀れでならなかった。
「自業自得」でも見捨てない理由
「そら、本人や親に責任がある。でもそれだけですか?」
周囲を翻弄し続けるヒデキ(46)。ここまで来ると、「自業自得」なのでは――。それでも牧師西田好子(69)が見捨てないのは、ある男性の姿を重ねているからだ。ハルという。西田が牧師になるため、関西学院大神学部に入学した50歳の頃、大阪・十三の公園で出会い、初めて世話をするようになった野宿者だ。
ハルには、きょうだいがいたが、それぞれの父親と母親の組み合わせはバラバラ。満足な食事を与えられず、土間で眠らされ、長らく他人に心を閉ざして生きてきた。一人っ子のヒデキは、ハルとは対照的に、幼少期から母親の過度な愛情を受けて育った。中学卒業後は定職に就かずとも遊ぶ金が与えられ、シンナーに溺れてからもその態度は変わらなかった。
いびつな環境が人格形成や貧困に結びついたという点で、2人は「似ている」と西田は言う。西田が関わってきた野宿者の多くは地縁、血縁と切れ、医療や福祉の網からこぼれ落ちていた。2人のもう一つの共通点は酒の自制が利かず、飲むと一変することだった。西田はハルが酒を飲むたび叱責した。その接し方が誤りで、専門治療が必要だと学んだのは、ずっと後のことだ。ハルは、西田が牧師になってまもなく路上に寝ているところを車にひかれて死んだ。西田の深い挫折体験だ。
〈ハルが死んだ時、『ハルみたいな野宿者を救える牧師にならせてください』って祈ったんや。自業自得で切り捨てて、同じように死なすわけにはいかんのです〉
「これは、直視せなアカン現実や」
病院を飛び出し、みたび路上に戻ったヒデキ(46)は、思わぬ形で野宿生活を抜け出すことになった。路上で男に声をかけられ、勧められるままドヤ(簡易宿泊所)に入ったのだ。だが、牧師西田好子(69)が見に行くと、狭くて暗く空調もない。まるでバラックだ。ヒデキは不満げに言った。「ここ、月3万しか出えへんねん」
このドヤは、いったん生活保護費を全額集め、毎朝、住人に1000円とたばこを支給するシステムだった。本来、家賃を差し引いても7万円ほどは残るはずで、確かに計算は合わない。〈どアホ。半分ヤクザみたいなところやんか。貧困ビジネスの餌になってるねんぞ〉
生活保護者を入居させて囲い込み、共益費などの名目でその大半を搾取するドヤは「囲い屋」と呼ばれ、2000年代に入り各地で横行。釜ヶ崎でも摘発例があるが、今も不透明な運営を続けるドヤが少なくない。
ヒデキはこのドヤを拠点に、人恋しさから近くの三角公園に入り浸り、なけなしの金で路上の男たちに酒をおごった。そうでもしないと相手にしてもらえないのだ。酒を飲んでも眠れなくなり、睡眠薬を入手するため、釜ヶ崎で早朝、開かれる露店街に足を運んだ。そこは入手経路の不明朗な物品も多く「泥棒市」と呼ばれていた。
過去には暴動も起きた釜ヶ崎では、薬物の取り締まりなどが強化され治安や環境は改善したが、完全に解消したわけではない。〈これは、直視せなアカン現実や。朝から生活保護で酒飲んで、その飲んべえが、食い物にされとるんや。血税がそんな使われ方してええんですか?〉
ヒデキは酒浸りの生活を続け、隣人とのトラブルで、ついに囲い屋のドヤも追い出された。流転の日々が再び始まった。
「生まれ変わりたいという夢は、本気やったんです」
ドヤを転々とするヒデキ(46)は、釜ヶ崎を青白い顔でうろついた。体に入れるのは酒とたばこと睡眠薬だけ。目は腫れ、顔はむくみ、ヒゲは伸び放題で、全身から異臭が漂った。まさに、牧師西田好子(69)の言う「生きる屍」のようだった。〈肉体も精神も滅びてまうぞ。このまま酒の奴隷で終わるんか〉
この間、西田はヒデキを救う道を模索し続けた。福祉事務所に窮状を訴え、警察に強制的な入院を頼んだ。ヒデキのために伝道礼拝も開いた。説教の題は「夢を見よう」。それでもヒデキは酒を選び、西田の差し出す手を拒み続けた。季節は春から夏に変わった。連日の暑さと過労で、西田は久しぶりに自分のために病院に行き、点滴を打った。〈私、200歳まで生きると言うてたやろ。でもな、もうすぐ死んでしまうわ〉
弱る西田に追い打ちをかけるように、泥酔したヒデキは「帰れ、ババア」と罵声を投げつけた。糸の切れかけた西田をギリギリのところで支えていたのは、旧約聖書にある預言者の言葉だった。「それは必ず来る」――。「それ」がいつかは人間にはわからないが、必ず神は報いてくれる。50歳を過ぎて四国の教会の牧師になったものの、派手な言動が災いして信徒と衝突し、行き場を失っていたどん底の時代、この言葉にすがって焦りや屈辱に耐えてきた。
西田はもう、ヒデキのために祈ることしかできなかった。〈もう一度、ヒデキに夢を見せてやってください。今は酔って忘れてますけど「生まれ変わりたい」という夢は、本気やったんです〉
時に「それ」は予想もしない形でやって来る。ある日、西田の携帯に見知らぬ番号の着信があった。「牧師の西田さんですか?」弁護士だった。ヒデキの逮捕を知らせる電話だった。



