紀伊水害15年、母の朱印帳と共に四国巡礼結願 奈良・森さん
紀伊水害15年、母の朱印帳と共に四国巡礼結願 奈良・森さん

2011年の紀伊水害で十津川村の両親を亡くした葛城市の森光春さん(63)が今夏、母が5度も巡った四国八十八か所霊場を初めてたどり、すべてを回り終える「結願」を達成した。「両親と一緒に回った気持ち。喜んでくれてるかな」。水害から15年となる4日、仏前であらためて両親をしのぶつもりだ。

高野山で6個目の重ね印

巡礼の仕上げとなる高野山(和歌山県高野町)を詣でたのは8月9日。妻よし子さん(64)、姉の奥村里美さん(65)とともに弘法大師空海の御廟で手を合わせた。その後、自宅跡で唯一見つかった遺品の朱印帳をかばんから出し、6個目となる「高野山奥之院」の重ね印を押してもらった。

「供養になりました」。森さんはほっとした表情を浮かべた。奥村さんは「(母は)好奇心旺盛やったから、元気やったら、まだ続きがあったんやろな」と、寂しそうにほほえんだ。

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水害で両親亡くす

11年9月4日未明、台風12号の豪雨による熊野川の濁流が、十津川村長殿の実家を押し流し、父・段造さん(当時82歳)、母・勝子さん(同79歳)が亡くなった。父の遺体のそばで、母が手作りしたリュックサックが見つかり、泥にまみれた朱印帳が入っていた。1ページずつ清めながら広げると、四国八十八か所霊場のすべての朱印が5個ずつ押されていた。乾かした朱印帳は、元の3倍の厚さに膨らんだ。

人が良く、だれにでも好かれた両親。段造さんはカラオケと場を盛り上げるのが大好き。勝子さんは世話焼きで、旅行好きだった。四国巡礼について、勝子さんが幾度か結願したことや、段造さんが1度一緒に回ったことは聞いていたが、5度も巡っていたとは、森さんは知らなかった。

「母のメッセージ」と巡礼開始

「家は跡形もなくなったのに、朱印帳だけ見つかった。『1度ぐらいは回りなさいよ』という母のメッセージやったんかな」。水害から10年の節目となった21年夏、手始めに西国三十三所札所を巡礼し、翌年に結願。昨年11月、徳島県の親類を訪れる機会を利用し、「本願の四国巡礼」を始めた。

よし子さん、奥村さんと3人で車に乗り、今年7月までに計12日かけて巡った。ただ、朱印帳以外には写真も記録も残っておらず、勝子さんがどのように巡礼したのかは、わからなかった。

車を降りてから30分以上、山の上まで歩く札所もあり、「(勝子さんは)だいぶ健脚やってんな。10年後やったら、来られなかったな」と、3人でしみじみと話し合った。両親のことは今でも思い出すたびに「胸が痛くなる」が、各札所で手を合わせると「気持ちが静まり、穏やかになった」。

慰霊祭で誓う

十津川村で8月20日に開かれた水害犠牲者の慰霊祭にも、母の朱印帳を持参。献花して手を合わせ、式典後、朱印帳をかばんから出して、もう一度慰霊碑に向かった。「災害を風化させず、伝えることが、両親からもらった使命だと思う」。6個目の朱印をなでながら、かみしめるようにして誓った。

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