被爆死した米兵の調査に長年取り組み、今年3月に88歳で亡くなった被爆者で歴史研究家の森重昭さんの妻・佳代子さん(84)が、米兵の遺族との交流を続けている。6月には米国から遺族が広島を訪れ、佳代子さんらの案内で足跡をたどった。森さんが育んできた「和解の心」は、佳代子さんによってしっかりと受け継がれている。
ファクスが家族の歴史を変えた
6月3日、広島平和記念資料館前で、米ラスベガス在住のロバート・タタロビッチさん(66)は、1枚の紙を取り出し、佳代子さんに語りかけた。「このファクスが、私たち家族の歴史を変えました」
タタロビッチさんのおじ・ジョセフ・ダビンスキーさんは、1945年7月に現在の広島市佐伯区に墜落した爆撃機「タロア」号のパイロットだった。長らく行方不明とされていたものの、森さんが独自に調査を行い、99年には遺族宛てに被爆死した可能性を指摘する文章を送っていた。
森さんの調査では、乗組員11人のうち、ダビンスキーさんら3人はパラシュートで脱出。捕虜となり、その後、広島市中心部にあった中国憲兵隊司令部へ連行されて原爆投下に巻き込まれて亡くなった。
慰霊の旅と機体の破片
佳代子さんの案内を受け、タタロビッチさんら一行は原爆死没者慰霊碑に献花し、同資料館や中国憲兵隊司令部跡を訪問。タタロビッチさんと娘のヘイリーさん(30)は、森さんが98年に自費で設けた米兵のことを伝える銘板を前に、「感謝を伝える言葉も見つからない」と涙を流した。佳代子さんは「重昭本人がここにお連れしたかったはず。一番残念に思っているだろう」と語った。
現在はゴルフ場になっているタロア号の墜落現場も訪れた。当時、下校途中に現場の様子を見たという窪田正義さん(94)から、当時の状況についての説明に耳を傾けた。窪田さんは「いつかは家族に返したいと思っていた」として、長らく保管してきた爆撃機の破片の一部を取り出し、タタロビッチさんに手渡した。
遺族との交流を今後も
慰霊の旅を終えたタタロビッチさんは「憎しみではなく共感を共有できた。娘たち次世代に体験を伝えることがとても大切だ」と話し、佳代子さんに深い感謝の意を示した。受け取った機体の破片は、8月6日にダビンスキーさんの墓へ納めたという。
佳代子さんは「夫の重昭は、米兵の遺族に自分が調べたことを伝えたいという思いでコツコツと取り組んできた。何十年たっても、遺骨が帰っていない遺族には、現地を訪れて(足跡を)確かめたいという気持ちがある。今後も遺族から連絡があれば、案内や交流を続けたい」と語った。



