沖縄・久米島駐留の海兵隊員の孫、写真の日本人の手がかりを捜す
沖縄・久米島駐留の海兵隊員の孫、写真の日本人の手がかり捜す

1945年に沖縄県の久米島に駐留した米海兵隊員の孫が、島で撮影されたとみられる写真に祖父とともに写っている日本人3人の手がかりを探している。孫は、米ジョージア州在住のニコラス・フォーブスさん(36)。沖縄戦史を調べ、多くの住人が犠牲になったことを知ったフォーブスさんは、写真の日本人と縁のある人が見つかれば、沖縄の人々が経験した悲劇に寄り添い、哀悼の意をささげたいと願っている。

祖父はレーダー技師として久米島に駐留

米国立公文書館の資料などによると、祖父のフランク・クロウさんは、沖縄で主要な戦闘が終わった後の1945年7月17日から終戦後の10月19日まで、第11海兵航空警戒中隊のレーダー技師として久米島に駐留した。

その期間に撮影したとみられる写真には、日本人女性2人と男性1人が、クロウさんら米海兵隊員14人とともに写っている。写真の裏には、海兵隊員全員の名前が書かれている。

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沖縄戦の悲劇を知り、心を痛める

クロウさんは2001年にがんのため亡くなった。フォーブスさんは、その1年前に祖父からこの写真を、戦時中の書類数点と軍服の一部と一緒にもらった。当時まだ10歳だったフォーブスさんは、若い祖父の姿を見られたことがうれしかった。ただ写真に写っている日本人のことを考えると、悲しく、複雑な気持ちになった。自然や動物を愛し、穏やかで優しかった祖父は、戦時中の体験についてフォーブスさんにも家族にも一切話したことがなかった。写真がいつ、どこで、どのような状況で撮影されたのかについての説明もなかった。

ジョージア州のラインハルト大学で米国史の学位を取得したフォーブスさんは、日米戦史にも興味を持ち、沖縄戦について調べたところ、その凄惨な事実を知った。フォーブスさんは「日本人の体験について、実際にはほとんど何も知らなかった」と、記者とのやりとりのメールに書いている。

哀悼の意を伝えたい

沖縄戦で死亡した20万人以上のうち、約9万4000人が一般住民だった。当時の沖縄の人口の4人に1人とされる。沖縄本島から西に約100キロ離れた久米島は、1945年6月から8月にかけて、生き残りの日本軍部隊が、住人20人を米軍と接触した「スパイ」などとして虐殺したことで知られる。

フォーブスさんはまた、1944年8月22日、沖縄から長崎へ向かっていた学童疎開船「対馬丸」が、鹿児島県・悪石島沖で米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没し、少なくとも15歳以下の1040人を含む1484人が犠牲になった悲劇も知り、心を痛めた。

「年を重ね、人生経験を積むにつれて、写真に写る3人の日本人について、彼らがどれほど困難でつらい体験を強いられたかを考えるようになった」と、フォーブスさんは書く。「彼らやその家族が経験せざるを得なかったことに深く哀悼の意を表し、戦争の悲劇が沖縄の人々に及んでしまったことへの悲しみを伝えたい」

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