NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で注目される豊臣秀長。連載「秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像」の第28回では、四国の覇者・長宗我部元親に焦点を当てる。元親は土佐の岡豊城に生まれ、四国を平定した戦国武将だが、その道のりは不運と嘲笑に満ちていた。
信長にあだ名をつけられて出身地をいじられた
「何でも時代のせいにしてりゃあ、そりゃあ楽だわな」――紀伊國屋書店創業者・田辺茂一の言葉だ。炭問屋の跡取り息子だった田辺は、21歳で炭屋の片隅から書店を開業し、戦火を乗り越えて大型化を実現。時代を言い訳にするビジネスマンに一喝したかったのだろう。
しかし、長宗我部元親の境遇に身を置けば、誰もが不運を恨みたくなる。元親は1539年、土佐(現在の高知県)の岡豊城に生まれた。土佐は京から遠く、罪人が送られる僻地でもあり、天下を狙うには地の利が悪すぎた。信長、秀吉、家康が東海地方に生まれたのとは対照的だ。
信長は元親を田舎者と見下し、秀吉を「はげネズミ」と呼んだように、元親には「鳥なき島のコウモリ」というあだ名をつけた。自分では変えられない出身で軽んじられるのは、何より悔しいことだった。それでも元親は信長と敵対せず、明智光秀との関係を強化しながら四国平定を成し遂げた。
相手方をかく乱させる頭脳プレーも
元親は戦術面でも巧妙だった。四国統一の過程で、敵対勢力を混乱させるため、偽の情報を流したり、同盟を巧みに結び直したりする頭脳プレーを駆使。例えば、土佐の豪族・本山氏との戦いでは、一時的に和睦を装い、相手の油断を誘って攻め込むなど、戦略的な手腕を発揮した。
また、元親は「姫」と呼ばれた若い頃から「鬼」へと変貌したことでも知られる。初陣で見せた臆病な態度から「姫若子」と揶揄されたが、後に戦場で鬼神の如き奮闘を見せ、「鬼の元親」と恐れられるようになった。この変貌は、逆境を跳ね返す彼の強靭な精神力の表れだ。
秀吉に領地を削られても腐らずに奮闘した
元親は豊臣秀吉の四国征伐にも直面した。1585年、秀吉は大軍を率いて四国に侵攻。元親は抗戦を試みたが、兵力差に勝てず、最終的に降伏した。その結果、元親は土佐一国のみを安堵され、それまで支配していた讃岐、阿波、伊予の三カ国を没収された。領地を大幅に削られるという屈辱的な条件だったが、元親は腐ることなく、新たな支配体制に適応しようと努めた。
秀吉の家臣となった後も、元親は九州征伐や小田原征伐に参加し、武功を挙げた。特に九州征伐では、秀吉軍の一翼を担い、島津氏との戦いで奮戦。その忠誠心と実力を秀吉に認められ、後に一部の領地が回復されるなどの恩恵も得ている。
元親の人生は、不遇な環境や他者の嘲笑に屈せず、自らの力で道を切り開いた戦国武将の典型例と言える。信長や秀吉という天下人に翻弄されながらも、四国統一の偉業を成し遂げ、その名を歴史に刻んだ。真山知幸氏は著書『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』で、元親のこうした奮闘を、兄・秀長の視点からも描いている。



