日本国旗を損壊する行為を罰する法案が国会で審議される中、「日の丸」の歴史的意義が改めて注目されている。NPO法人「世界の国旗・国歌研究協会」の吹浦忠正共同代表(85)によると、日の丸の起源は鎌倉時代にまで遡り、武士たちが用いた扇に赤い丸が描かれていたという。戦国時代には武将らの旗印として使用され、江戸時代には幕府の年貢米を運ぶ船に掲げられた。
ペリー来航が契機、船印から国旗へ
「国の旗」としての使用が始まったのは、1853年のペリー来航がきっかけだ。日本船と外国船を識別する必要が生じ、翌54年に江戸幕府が日の丸を日本の船印と定めた。明治維新後も継承され、1870年の太政官布告で商船規則における「御国旗」となった。
しかし、正式な国旗となるまでには紆余曲折があった。戦前の帝国議会で「大日本帝国国旗法案」が提出されたが、審議未了で廃案。戦時中は出征兵士を見送る際の戦意高揚に使われ、敗戦後は連合国軍総司令部(GHQ)の占領下で掲揚が一時禁止された。
敗戦国のドイツやイタリアが国旗を一新したのに対し、日の丸は変わらなかった。吹浦氏は「国旗と定める法律がなかったため、廃止もされなかったのでは」と分析する。
主権回復と愛国心の象徴に
生き残った日の丸は、日本の主権回復とともに愛国心の象徴となった。1952年のサンフランシスコ講和条約による主権回復の頃、吉田茂首相は〈日の丸の 旗なびく見ればあらがねの 土に生きてる 喜びぞ湧く〉と詠んだ。1964年の東京五輪では街中に日の丸が掲げられ、ブームに。創業90年の東京製旗の4代目社長・小林達夫氏(69)は「子どもの頃、毎日2000枚以上の日の丸を染めていた」と振り返る。
一方、冷戦下の保革対立を背景に、日の丸はイデオロギー論争の対象となった。社会党や共産党は「侵略戦争の旗印」と主張し、学校現場ではトラブルが頻発。1999年には広島県で対応に悩んだ県立高校の校長が自殺する事件が起きた。
国旗・国歌法の成立と新たな法案
この事件をきっかけに、1999年8月に国旗・国歌法が成立。第1条で「国旗は、日章旗とする」と明示し、寸法や丸の位置も定めた。読売新聞は社説で「日本が『戦後』を超えるための一つのけじめといえよう」と論評した。
そして2026年6月16日、自民、維新、国民民主、参政の4党が「国旗損壊処罰法案」を衆院に共同提出。与党は、刑法が外国国旗の損壊を禁じているのに対し、日の丸を対象にした法規がないことを理由に、「国旗を大切に思う国民の感情を保護する」と主張する。
法案では、実物の国旗を「人に著しく不快または嫌悪の情」を抱かせる方法で公然と損壊、除去、汚損した場合、2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金を科す。表現の自由との関係から、映画などの芸術作品は規制対象外だ。今国会での成立が見込まれるが、「処罰対象が不明確」との懸念も根強い。



