因縁の地サラエボ市長の言葉に心動かされ副村長就任 黒岩彰さん
因縁の地サラエボ市長の言葉に心動かされ副村長就任 黒岩彰さん

スピードスケート冬季五輪男子500メートル銅メダリストの黒岩彰さん(65)が、故郷の群馬県嬬恋村の副村長に就任した。黒岩さんをスカウトした熊川栄村長(78)は「知名度や実績はとんでもない人。村の発展に向け力を結集するのに適切な人材だ」と要請理由を語る。黒岩さんは指導者経験も豊富で人心掌握にたけ、プロ野球球団トップも務めるなど経営感覚も持ち合わせる。

山梨時代の縁が思わぬ展開に

村にとっての逸材が約45年ぶりに故郷に戻ったいきさつは、運命に導かれたかのようだった。山梨県富士河口湖町に住んでいた頃、隣の鳴沢村の小林優村長(当時)と知り合い、月1回ほどの会食をする仲になった。ある時、小林村長が「そういえばサカエは元気か」と尋ね、それが熊川栄村長のことだと分かると、その場で電話をかけてくれたという。村長同士のつながりがあったのだ。

その後、富士急行スケート部の監督を経て、日本スケート連盟や日本オリンピック委員会(JOC)で強化担当を務め、スケート連盟では平成27年から令和6年まで約10年仕事をした。平昌、北京と冬季五輪が続いた後、「もう十分」と思い、連盟に来季の契約を結ばないと伝えていたとき、熊川村長から電話がかかってきた。

想定外の副村長打診

村長行きつけのレストランで会ったのは6年1月。「おい、彰。嬬恋に帰ってきて、俺を手伝ってくれないか」と言われ、最初はスポーツ文化分野のサポートかと思ったという。東京・町田に建てた家が3月に引き渡される予定で、新居でのんびり過ごしながら月10日程度ボランティアで手伝う感覚だった。しかし、2月初めごろに「副村長としてきてくれないか」と話が変わり、「話が違う。民間でずっとやってきて、行政の仕事を何も知らない。そんな自分がいきなり副村長はないでしょう」と返したが、村長は「彰ならできる」の一点張りだった。

ちょうどその頃、ボスニア・ヘルツェゴビナからサラエボ冬季五輪40周年の記念式典への招待を受けた。銅メダルを獲得したカルガリーならともかく、優勝候補に挙げられながらサラエボで大敗した自分が式典に行く意味が分からないと一度は断ったが、サラエボ市長の「だから(マスコミにもたたかれ、悔しさを味わった)黒岩さんに来てほしいんです」という伝言が伝えられた。

時間が止まった街での対談

2月に1週間ほどサラエボを訪れ、条件として市長との30分の対談を頼んだ。40代ぐらいの女性市長に「サラエボの街はどうですか」と問われ、建物に銃弾の痕など生々しい傷痕が残っていたことから「40年前とほぼ変わってませんね」と答えた。すると市長は「黒岩さん、変わってないのは建物とか街並みだけじゃないんです。サラエボ自体が40年間時間が止まっているんです」と語った。紛争(内戦)でがんじがらめに縛り付けられ、成長がないという意味だった。

続けて市長は「市長になったのは、今を生きている人たちが明るく楽しく健康的に生活してほしかったからです。その夢を持って私は市長になりました」と話した。この言葉を聞き、嬬恋も今、生活している人たちが明るく楽しく健康的に暮らせる村になるよう一石を投じられるなら、副村長をやってみようと決心した。

この2カ月間は偶然が偶然を呼んだと驚いていた。西武鉄道グループの元オーナー、堤義明さん(92)からも連絡があり、「熊川村長から村に恩返しできるチャンスをもらったな。人間は死ぬまで勉強だぞ。人間は死ぬまで努力だぞ」と助言を受けた。