ワープロソフト市場で、マイクロソフトの「ワード」が国産ソフト「一太郎」から首位の座を奪い、一太郎の開発元ジャストシステムは赤字に転落した。公正取引委員会の排除勧告は「勝負がついた後」だったとされ、国産ソフトの凋落は「デジタル敗戦」の教訓として語られる。
OSの力でワードが急速に普及
マイクロソフトは、パソコン用OS「ウィンドウズ」を初期搭載するよう日本のパソコンメーカーに働きかけ、ワードを抱き合わせで販売した。当時のジャストシステムの営業担当者、加藤彰は「OSを供給する力を使ってワープロソフトを売られたら手も足も出ない。勝てるわけがない」と振り返る。
各メーカーは、ワードの搭載を拒否すればウィンドウズを供給してもらえなくなる懸念があり、基幹ソフトを握るマイクロソフトの意向に逆らえなかった。ジャストシステム創業者の浮川初子は「OSがないとパソコンが動かないから、マイクロソフトはメーカーに対してどんな条件でものませることができる」と述懐する。
シェア逆転と業績悪化
夫の浮川和宣は「会社存亡の危機になるかもしれない」と危機感を抱いたが、打つ手がなかった。ワードは一気にシェアを伸ばし、1997年度には5割超を占めて一太郎から首位を奪った。ジャストシステムの売り上げは激しく落ち込み、初子は「数字の落ち方が尋常でなかった。予想を上回る落ち込みが毎年続いた」と語る。
ジャストシステムは98年3月期決算で赤字に転落。加藤は「OSもソフトも全て食い尽くしてしまう。マイクロソフトは『狩猟民族』そのものだ」と感じたという。
公取委の対応は「遅すぎた」
公正取引委員会はマイクロソフトの行為に問題があるとみて、98年1月に日本法人へ立ち入り検査を実施。同年11月には、エクセルとワードの不当な抱き合わせ販売を独禁法違反として排除勧告を出した。しかし、一太郎が失ったシェアは戻らず、和宣は「公取委の結論が出たのはもう勝負がついた後。遅すぎた」と不満を抱く。
公取委の現役幹部も「いったんワードが普及してしまうと、そこから一太郎がひっくり返すのは難しい。もっと早く対応すべきだった」と話す。OSを持つ者の強大な力と持たざる者の悲哀、動きの鈍い独禁当局。国産ソフトの凋落は、日本に様々な教訓を与えている。



