「私は昨日、3時間しか寝ていない」「先月はずっと休日出勤していた」「子どもが起きている時間に帰れない」――こうした話を聞かされるたびに、周囲は微妙な雰囲気になる。本人に悪気はないだろうが、昨今ではこの手の話は共感されないのが普通だ。
なぜ人は「自虐」を語りたくなるのか
残業時間や休日出勤の多さ、無理な要求に対応した体験、体調を崩したエピソード――あえてこうした苦労話を公然とする人がいる。背景にあるのは承認欲求だ。自分がどれだけ会社に貢献し、どれだけ自分を虐げてきたかを語ることで、周囲に認めてもらいたいのである。
「あの案件を取るまで、どれだけお客様と飲みに付き合ったか」「胃に穴が開くほど無理をした」といった話は、昭和時代の会社員たちが美談として語っていた。だが、そうしたラクをしてうまくいった話は、人の心にはあまり響かない。むしろ、「お前らの部署はラクでいいな! 俺たちはどれだけ苦労しているか、お前にわかるか?」と責めるのがオチだ。
苦労と自虐は別物
自分の中では、頑張った時間や苦しんだ量こそが努力の証明だと感じている。だからこそ、その量をなるべく具体的に、大きく語ろうとしてしまう。「3時間しか寝ていない」「ゴールデンウィークもずっと働いていた」「大阪での仕事を終えたら、今度はシンガポールへ飛べと言われた」といった具体的エピソードは、本人にとっては勲章だろう。しかし、聞いている側は全く別の意味として受け取ってしまうことがある。
現代において、重要なのは結果であり、プロセスではない。努力の量ではなく、どれだけの価値を生み出したかが評価される。マネジメントの観点からも、組織の雰囲気を良くしたいのであれば、自虐的なアピールではなく、成果を語ることを推奨する。



