祇園祭・鷹山の囃子、復活から進化続ける 独自の音色求め
祇園祭・鷹山の囃子、復活から進化続ける 独自の音色求め

京の7月は「コンチキチン」の音色で始まる。鉦や笛、太鼓の奏でる祇園囃子が、街を祭り一色に染める。

応仁の乱より古い曳山、禁門の変で焼失

かつて鷹山は西村健吾さんの暮らす町に建っていた。応仁の乱よりも前からあった曳山だが、1826年の大雨で損壊。翌年から巡行しない「休み山」となり、1864年、禁門の変の戦火でほぼ焼失した。

その復活を目指して2012年、地元出身の山田純司さんらが勉強会を始めた。後に加わった西村さんは同級生ら7人を集め、2014年2月、囃子方の結成にこぎ着けた。自らを除くと全員が未経験者だった。

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独自の囃子を探求、譜面に頼らず五感で

鷹山の囃子は記録が残っておらず、所属していた北観音山の曲のコピーから始めた。笛は1人1万円ずつ出して購入。鉦や太鼓は他の山鉾町から借り受けた。仲間に笛を教えつつ、初めて太鼓も練習した。それぞれがカラオケボックスなどに通って稽古を重ねた。

ただ山の再建は見通せず「いつみんなを山に乗せられるだろうか」と不安が募った。長年世話になり、この年、後祭を復活させた北観音山の吉田孝次郎さん(2025年7月、88歳で死去)は「お前がやらな誰がやんねん」と背中を押した。不慣れな稽古にも顔を出してくれる「応援団長」だった。

子どもらも加わり、20人ほどになった囃子方。「復活せえへんかったら、祇園囃子や山から降りる」。49年ぶりに実現した後祭の巡行後、西村さんは腹をくくって北観音山を辞めた。

196年ぶりに復活、70人近い大所帯に

「鷹山保存会」は翌2015年に設立。山田さんが代表理事、西村さんは副理事長に就いた。行事や学校で演奏する「出囃子」を頼まれれば、ほぼ全て引き受けて場数を踏み、音色に磨きをかけた。

囃子は各山鉾で異なる。鷹山も当然、オリジナル性が求められた。北観音山の曲を土台に笛の旋律をアレンジし、音階や間に変化をつけた。仲間で話し合いながら試奏と編曲を繰り返し、独自の音色を探し求めた。

だが譜面に頼ると演奏が忠実になりすぎ、楽器同士の調和も失われる。若手には譜面を極力見せず、間違いを気にすることなく演奏させ、譜面に表れない機微を五感でつかませた。

鷹山は2022年、196年ぶりに復活。山の上で演奏する囃子方も「稽古では見せへんような、楽しそうな表情」だった。これをきっかけに入会を希望する子どもも増えた。「祭りや囃子が好き」という純粋な意思が、幼い頃の自らと重なる。

今年は小学生2人が加わり、70人近い大所帯になった。曲は短いものを含めて50を数える。それでも、「10年後に見たら『まだまだやんけ』と思うはず」と新たな可能性に挑む。

「鷹山のお囃子を100年、200年残すために、僕らが今、基礎を作っている」。進化を続けるしらべが今年も、都大路に響き渡る。

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