高松・百間町の花街文化、姿変え次代へ 伝統と新たな挑戦
高松・百間町の花街文化、姿変え次代へ 伝統と新たな挑戦

高松市の高松中央商店街のそばに、かつて栄えた花街の面影を残す「百間町」がある。趣のある木造の建物が数軒並び、夜には軒先の明かりが雅な雰囲気を醸し出している。

郷土史家・荒井とみ三がまとめた「高松今昔記第一巻」によると、1891~92年頃に芸妓のお座敷への手配などを担っていた「検番」が高松にできた。その後、鉄道の整備などにより高松が「四国の表玄関」になると、大勢の人が押し寄せ、花街もにぎわいを見せた。1902年頃には100人あまりの芸妓がいたという。

戦後の復興とにぎわい

45年7月の高松空襲で、花街でも多くの建物が焼けたが、戦後の復興とともに、料亭や旅館が相次いで建設され、花街もにぎわいを取り戻した。

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戦後すぐに創業し、昨年まで百間町で営業していた料亭「三笠」の3代目女将・三笠真琴さんは「20年ほど前までは、まだあちこちに料亭があって、夜には店の前の通りが迎えの車で通れなくなるほどだった」と振り返る。

芸妓の減少と現状

香川県内の芸妓でつくる高松芸妓組合「華陽会」によると、芸妓は1960年代には30人以上が所属していたが、現在はわずか3人という。その一人、万梨子さんは「毎日のように料亭に呼ばれ、1日に何軒も寄る日があった。忙しかった頃が懐かしい」と語る。

百間町で、茶室を備えた数寄屋風の木造2階建ての料亭「二蝶」では、今も年間10~15回、芸妓を呼んだお座敷遊びが開かれるという。46年に創業し、花街の伝統を受け継ぐ一方、新たな方法で花街の文化を引き継ぐ試みが始まっている。

新たな取り組み

かつて仲居として二蝶で働いていた喜田汐里さんは、19歳から日本舞踊を習い、23歳頃から常連客の頼みで二蝶のお座敷で踊りを披露する。「正式な芸妓とは言えないが、踊りを通して地方に根付いた芸を今後も引き継いでいきたい」

芸事以外にも、子ども向けの食育イベントの開催や、ベジタリアンや宗教上のルールに配慮した料理の提供など人を呼び込むような企画を積極的に仕掛ける。

女将の山本容子さんは「花街は男性が行く場所というイメージがまだ強いかもしれないが、女性や子ども、外国人観光客など、幅広い世代の人に親しんでもらえる場所にしたい」と語る。

時代と共に町の姿は変わったが、様々な世代や多くの人に花街の伝統を知ってもらう機会も増えている。山本さんは「百間町から高松の花街の文化を発信し、後生に残していきたい」と力を込めた。

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