正月に家庭の玄関を飾るしめ縄は、長寿や開運の願いが込められた身近な存在だ。しかし、職人の高齢化や生活様式の変化で全国的に生産量が減少している。柏原市でしめ縄の製造・販売を手がける「高見商店」の3代目代表・高見浩則さん(48)は、伝統技術を守りながら「藁ブーケ」など新たな試みにも挑戦している。
祖父の兼業から始まったしめ縄づくり
戦後、ブドウ農家だった祖父が兼業でしめ縄づくりを始めた。当時、地域には100軒近い生産者がいた。夏に収穫の最盛期を迎えるブドウ農家が、正月に向けてしめ縄飾りを作っていた。現在、市内で専業として続けているのは高見商店だけだ。
幼い頃は祖父が納屋で作業する傍らで遊び、中学・高校時代には年末に家族総出で手伝った。しかし職人になる考えはなく、高校卒業後は自動車整備士として8年ほど働いた。
25歳で職人の道へ、師匠との出会い
ある時、「自分がやっていることは好きなことなのか」と疑問を抱くようになった。目立ちたがり屋で周囲と違うことをしたがる性分だった高見さんは、進路に悩む中で父から「しめ縄どうや」と誘われた。母は「しめ縄だけでは生活できない」と反対したが、周囲にしめ縄職人はおらず珍しい存在で、「おもしろそう」と思い25歳でこの世界に入った。
初めは消防士だった父から教わったが、本格的に学ぶため、神社に納めるしめ縄を担当していた市内の農家の男性に頼み込み通うように。簡単には技を教えてもらえなかったが、熱意が伝わり数年後には師弟関係のようになり、協力して作ったしめ縄を奉納するまでになった。しかし高見さんが37歳の時、師匠が高齢で引退した。
失敗を乗り越え、四天王寺の大鳥居へ
その年は何とか1人で神社に納めたが、翌年の秋頃にしめ縄が腐りちぎれてしまった。藁の束が均等に撚られていなかったため、中に空洞ができたのだ。大恥をかいた経験から、技術を磨き直すため市内や八尾市の神社を訪れてしめ縄を撮影し、作業場で再現する日々が続いた。
4年前からは四天王寺(大阪市天王寺区)の大鳥居のしめ縄を手がけている。端が細くなる一般的なものとは異なり、両端にも一定の太さがある特殊な形状だが、試行錯誤してできたしめ縄が初めて鳥居にかかったのを見上げた時、「職人としてようやくスタートを切れた」とこみ上げるものがあった。
若い世代へ「藁ブーケ」開発、SNS発信も
日本人は古くから神社や家庭にしめ縄を飾ってきたが、現代は生活スタイルの変化で需要が減り、しめ縄をかけるのをやめた神社もある。現状への危機感から昨年、若い世代にも身近に感じてもらえるよう、藁とドライフラワーなどを組み合わせた「藁ブーケ」を開発し販売を始めた。洋風の家にもなじむよう藁の素材感を生かしつつ、華やかさと両立させている。
モットーは「不易流行」。しめ縄がある「当たり前」の風景を絶やしてはならないと、時代の変化を受け入れつつ技術と思いを次世代に継承できるよう職人人生を全うしたいと語る。
柏原市出身の高見さんは、田植えから収穫まで手がけ、しめ縄に使う藁を用意する。穂が実る前の青々とした稲を刈り、緑色の風合いを残したしめ縄もある。納品が近づく12月には作業場にこもりきりになるが、中島みゆきさんの「ヘッドライト・テールライト」を聞いて集中力を高める。今年はSNSでの発信を始め、制作の様子を紹介している。