元日本代表DFで、Jリーグ・ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)の黄金期を支えた都並敏史氏が、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演し、ラモス瑠偉氏ら先輩選手からの教えを明かした。収録は7月1日に行われ、番組MCの元日本代表DF中澤佑二氏と共にJリーグ開幕期の思い出を振り返った。
Jリーグ開幕による環境の激変
Jリーグが1993年に開幕し、サッカーは社会現象となった。都並氏は当時の変化について「急変しましたね。関われただけで幸せ。(読売サッカークラブの)6万円から始まったお給料が、『もしかしたら1000万とかいっちゃうのかな?』と仲間と話してました。ところが(年俸で)5000万、6000万の世界だった」と振り返った。
開幕カードとなったヴェルディ川崎対横浜マリノス戦については「本当に高揚したし、感謝。先輩たちもみんな泣いてましたからね。自分もそうですよ。『こんな日が来るなんて』」と述べ、「(ピッチに)出ていったときは浮いてる感じ。落ち着いてサッカーした感じは全くない」と当時の高揚感を語った。都並氏はこの試合でイエローカードのJリーグ第1号も記録している。
ラモス氏らから学んだプロの振る舞い
Jリーグによって、それまで実業団だったクラブがプロ化されていく中で、選手たちはプロサッカー選手としての振る舞いも学んでいった。都並氏は「ラモスさんや松木(安太郎)さん、(加藤)久さんに『今まで応援してくださった人を大切にしろ』って言われてた。カズ(三浦知良)が実際に見せてくれるわけで、200人の人が来るでしょ。最低でも1時間は残ってサインしてますからね。武田(修宏)もそれを学んで」と先輩たちの姿勢を紹介した。
しかし、すべてのJリーガーがそうした振る舞いができていたわけではない。都並氏は「若手のサテライトの選手たちが、2軍なのに(年俸を)1000万ぐらいもらっちゃってっから、みんな遊びに行きたくて、ファンを無視して外車で帰るわけ。それは絶対駄目だって。ちゃんと感謝しろって。それはプロとしての仕事なんだって(ラモスさんら)教えてくれた人がいたから、今もやれてる。ありがたいですよ」と語り、プロ意識の重要性を強調した。
都並敏史氏のプロフィール
都並敏史氏は1961年生まれ、東京都出身。1980年に読売サッカークラブに入団し、19歳で日本代表に初選出。Jリーグ開幕期のヴェルディ黄金期を支え、愛称は「狂気の左サイドバック」。引退後はベガルタ仙台などで監督を務め、解説者としても活躍。現在はJFLブリオベッカ浦安・市川の監督を務めている。



