一回二死二、三塁の好機。玉野光南高校の吉井勝仁選手(3年)は強い気持ちで打席に立った。指名打者ながら調子が上がらず、初戦は途中交代させられていた。「今日の試合は絶対に打ちたい」と意気込み、適時打を放って2点を先制。父・良治さん(54)が見守る三塁側に向かって拳を突き上げた。
父と歩んだ野球人生
思い出すのは、小学4年生で野球を始めてから父と自主練習に励んだ日々だ。良治さんは1990年春に2番手投手として玉野光南初の甲子園出場に貢献した元選手。仕事で忙しくても、練習に付き合ってくれた。
小・中学時代は良治さんが所属チームの指導者でもあり、厳しく感じることや意見が対立してぶつかることもあった。それでも「自分の野球を一番分かっているのは父」だと確信している。
父と同じ高校で甲子園へ
高校進学では県内外の強豪校からスカウトが来たが、「父と同じ高校で甲子園を目指したい」と玉野光南への入学を決意。良治さんは欠かさず観戦に来てはバットの振り方などのアドバイスを送り、吉井選手が打った時は自分よりも喜んでくれた。
父をもう一度甲子園に連れて行く――。しかし、夢は八回に破れた。二死一、二塁の一発逆転の好機で打った打球は中飛に終わった。それでも試合は楽しめたという。「悔いの残らない高校野球人生にしてほしい」。良治さんが大会前にかけてくれた言葉は達成できたと思う。
感謝の言葉を伝える
試合後、吉井選手は「帰ったら、今まで言えなかったことを伝えるつもりだ。ありがとう、と」と語った。父への感謝の思いを胸に、高校野球人生を全うした。



