車いすの長男と左手失った父、親子で世界身体障害者野球大会へ 北九州で11月開催
車いすの長男と左手失った父、親子で世界障害者野球大会へ

「もう一つのワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」とも呼ばれる世界身体障害者野球大会が11月、北九州市民球場で開かれる。日本代表の宮地雅之さん(51)と長男・翔大さん(19)(福岡県直方市)は、けがと難病を乗り越え、大会史上初めて親子で出場する。大会初の車いす選手として参加する翔大さんは「プレーする姿を通して一人でも多くの人に希望を感じてもらえたら」と話す。

小学6年で異変、繰り返す骨折

10日、北九州市門司区の公園で2人が所属する障害者の野球チーム「北九州フューチャーズ」の練習が行われた。翔大さんが大きく曲がる変化球で空振り三振を奪うと、一塁の守備に就いていた雅之さんから「ナイスボール」と大きな声が飛んだ。来月21、22日の大会に向け、翔大さんは「いよいよ迫ってきた感じがしてきた」と口元を引き締めた。

雅之さんは中学生の頃、学校の技術室にあった機械に左腕を巻き込まれて手首から先を失った。翔大さんが野球に夢中になるきっかけは、障害者野球で活躍する父を見たことだった。

翔大さんは小学2年の時に地元のチームで野球を始め、主将でエースを務めた。憧れていた福岡ソフトバンクホークスの今宮健太選手(35)の映像を繰り返し見て動きを学んだ。強豪校で甲子園に行き、プロの選手になるのが夢だった。

「僕でも出来るのかな」心に光

しかし、思い描いていた未来は突然、崩れた。小学6年の正月、原因不明の両膝痛に襲われた。ほどなく階段も上れないほどに悪化。中学校に入学した春、右のかかとを疲労骨折すると、その後も骨折を繰り返すようになった。いくつもの病院を回り、最初の骨折から約2年半後に国指定の難病「慢性再発性多発性骨髄炎」と診断された。

車いす生活になったのは中学1年の夏頃から。「もう野球もできない。生きていく意味があるのかな」。長い入院生活を終えると自宅にこもる日が数か月続いた。

雅之さんは息子を見守りながら、「どんな言葉を掛ければいいのか」と悩んだ。悔しい気持ちは痛いほど分かるが、外の世界に連れ出したかった。翔大さんが中学3年になった夏の終わりのある日、「一緒にキャッチボールをしてみないか」と誘った。