沖縄祖国復帰運動と安保闘争の交錯 平和教育の歪みを検証
沖縄復帰運動と安保闘争の交錯 平和教育の歪み

米軍統治下の沖縄で、県民の祖国復帰への気運が高まる中、沖縄教職員会は昭和28年1月、「沖縄諸島祖国復帰期成会」を結成した。会長には屋良朝苗氏が就任した。

翌29年1月7日、アイゼンハワー大統領が一般教書で沖縄の基地の無期限保持を明言したことに対し、屋良会長は当時のオグデン民政副長官に復帰への切実な思いを伝える書簡を送った。しかし米軍は屋良会長の思いを否定し、教職員会への圧力を強めた。屋良会長は教職員会と復帰期成会の会長職の辞任に追い込まれた。

米軍の土地収用と強制接収

教職員会が祖国復帰を目指し、教育を通じて子供たちに日本人としての自覚を促す中、米軍の基地拡張計画は拡大していった。琉球政府行政主席と土地所有者との間で賃貸借契約を結び、琉球政府が米国政府に土地を転貸する仕組みだったが、米国民政府は28年、土地の使用権を取得するため「土地収用令」を発布した。

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この令により、米国は協議が不成功に終わった場合、一方的に収用宣告書を発することで土地の使用権原を強制的に取得できた。既接収地の使用権原や新規接収の根拠となる法令を整備した米国は、宜野湾村(現・宜野湾市)伊佐浜や伊江村真謝、西崎などで、ブルドーザーや武装兵によって強制的に土地の接収を展開した。

プライス委員長の発表と抗議活動

こうした中、31年6月、米国下院軍事委員会特別分科委員会のメルヴィン・プライス委員長は、「沖縄基地は①制約なき核基地②アジア各地の地域的紛争に対処する米極東戦略の拠点③日本やフィリピンの親米政権が倒れた場合の拠り所――として極めて重要である」と発表した。

これに対し、沖縄では激しい抗議活動が起こり、「沖縄全体が怒った日の丸闘争」と呼ばれる事態に発展した。本土の安保闘争の影響もあり、復帰運動は次第に「革命闘争」の様相を帯びていくこととなった。

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