第2次世界大戦の映像資料を調べている大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」が発見した映像の中に、亡き父の姿を見つけた人がいる。大分市の堀端優子さん(72)は、戦時中の若い父の姿を見て「映像を発掘してもらってありがたい。戦争中、こういう青春を送った人たちがいたということが若い人たちに伝われば」と話している。
「確かに父です」と語る
映像の中で整列する海軍部隊の一人を見て、堀端さんは「確かに父です。風貌というか、体格がやせていたところとか。胸に来るものがありますね」と語った。その人物は、父親の松浪清さん(2002年に82歳で死去)だと確認された。
映像は、1943年4月7日、南方のブーゲンビル島・ブイン航空基地で、日本海軍の艦上爆撃機が激戦地だったガダルカナル島方面へ出撃する際の様子を映したものだ。隊員たちが直立不動で整列し、訓示が行われている場面で、出撃前の緊張した雰囲気が伝わる。正面に並ぶ列の左から2人目が松浪さんだという。
松浪さんの生涯と映像の発見
松浪さんは、1920年、大分市の農家に10人きょうだいの六男として生まれた。体力、能力を試してみたいと軍人を志し、海軍に進んで飛行機乗りになり、南方戦線などで従軍した。45年には宇佐市の宇佐海軍航空隊の特攻隊員になったが、米軍の空襲で搭乗機を破壊されて出撃できなくなり、終戦を迎えた。戦後は、陸上自衛隊で公職を全うしたほか、戦時中の体験を複数の著書にまとめ、出版した。
映像は、墜落した日本軍機から米軍が回収したフィルムに残っていたのを、宇佐市塾の織田祐輔さん(40)が発見した。訓示の様子のほか、敵地を目指して飛行する海軍爆撃機の編隊の様子が映っており、戦闘記録や戦記など各種の文献を調べたところ、松浪さんの著書「命令一下、出で発つは」に、映像に関する記述があるのを確認。上空の様子を撮影したのは、同著に登場する偵察員の工藤重信・2等飛行兵曹で、整列した隊員の順序、階級などを検討した結果、松浪さんらしき人物も映っていることがわかった。
織田さんは「本に書いていてくれたから判明した。極めて珍しいケース」と話している。



