高齢者のデイサービスを運営するNPO法人「みんなの家」(西伊豆町)は、利用者から聞いた戦争体験を基に紙芝居を制作し、上演会を開催してきた。NPO代表の奥田俊夫さん(69)は「紙芝居を通じ、平和への関心を高めてほしい」と話す。
満州の悲劇を描く
西伊豆町内で8月16日に行われた公演では、満蒙開拓団として満州(現中国東北部)に渡った男性利用者の体験を描いた紙芝居「満州の悲劇」をめくりながら、奥田さんが声を張り上げた。
主人公は、両親やきょうだいと8人で岐阜県から満州に移り住んだ12歳の良三。やがて、南方の戦況が悪化して兵隊が足りなくなると、14歳になった良三も満蒙開拓青少年義勇軍に入隊し、国境の警備にあたった。
終戦間際の1945年8月9日に、旧ソ連軍が満州に侵攻すると、良三の一家は、畑や家を捨てて逃げた。その際、良三が目にしたのは、地獄絵図のような光景。「おかあちゃん、足が痛くて、もう歩けないよう」と訴える幼い子どもを、その母親は「ソ連の兵隊さんに見つかってしまうだろ」と諭した。我が子の首を絞めて殺してその亡骸を川に流したり、赤ん坊を道ばたに置き去りにしたりする人々もいた。
その後、良三の家族はソ連兵に捕まり、満州の収容所に送られた。厳しい寒さの中で暖房器具や毛布はなく、両親と4人のきょうだいは伝染病で次々と亡くなった。生き残ったのは良三と妹の2人だけ。良三の一家が所属していた開拓団500人のうち、生きて日本に戻ったのはわずか60人ほどだった。
「語り部」たちの思い
奥田さんが運営する施設では、利用者の半生を聞いて紙芝居にする取り組みを2005年に始めた。認知症予防の一環としてだったが、「結婚して1年たたずして夫が召集された」「東京大空襲を経験した」など、戦争に関する証言が相次いだ。
「これを地域のために活用できないか」。そう考えた奥田さんは、紙芝居の制作を担当していた職員と相談し、小学校などで紙芝居を披露するようになった。公演には、物語の主人公である利用者らも参加。子どもたちからの質問に答えた。
奥田さんは「利用者には、戦争を子どもたちに語るのが自分の役割だったと話してくれた人もいた」と振り返る。奥田さんらは地域の戦史を調べ、県内に残る特攻艇の格納庫を紹介する紙芝居なども制作してきた。
戦後81年、語り継ぐ決意
戦後81年。紙芝居の主人公となった「語り部」たちは次々と彼岸に渡り、今は戦争を体験した利用者はいない。それでも、奥田さんは紙芝居の上演を続けるつもりだ。「身近な問題として感じてもらえるよう、戦争を語り継ぐことが大事」。そんな思いを胸に紙芝居をめくる。
満蒙開拓団は、1931年の満州事変以降、国策として満州などに渡った日本人移民。農村の過剰人口や食料不足などの解決策として約27万人が送り込まれ、ソ連侵攻後の逃避行や収容所生活で約8万人が犠牲になったとされる。