ポーランドのユダヤ人コミュニティーや政治指導者、一般市民らは7月10日、第2次世界大戦中の1941年にイエドバブネ村で発生したポーランド人によるユダヤ人虐殺(イエドバブネ事件)の犠牲者を追悼した。式典会場のすぐ近くでは、極右活動家らによる抗議デモが行われ、両者の対立が表面化した。
イエドバブネ事件の概要
イエドバブネ事件では、ポーランド人農民が女性や子どもを含むユダヤ人約300人を納屋に閉じ込め、生きたまま焼き殺した。さらに、同様の方法で約40人のユダヤ人がポーランド人住民によって殺害された。2003年の公式調査により、この虐殺はナチス・ドイツ占領軍ではなく、イエドバブネ村のポーランド人住民によって実行されたことが確認されている。
追悼式と抗議デモの同時開催
追悼式典会場の目と鼻の先では、極右政党「ポーランド王冠同盟」が主催した抗議デモとカトリックのミサに約1000人が参加した。極右勢力は、事件に対するポーランド人住民の責任を認めることを拒否し、長年支持されてきた歴史認識とは異なる公式調査結果に異議を唱えている。彼らは、ユダヤ人コミュニティーからの要請で2001年に中断された被害者の遺体掘り起こし調査を再開すべきだと主張している。
ポーランド国旗を手にしたエルジビエタ・リバルスカさんはAFPに対し、「真実が分からない限り、分断は続くだろう」「もし誰かが真実を恐れていないのであれば、遺体掘り起しはとっくに実施されていたはずだ」と語った。
極右政党の動き
抗議デモの主催者には、グジェゴシュ・ブラウン氏が党首を務める極右政党「ポーランド王冠同盟」が含まれている。ブラウン氏は過去に、ポーランド議会で行われていた行事の最中、儀式用の燭台に消火器を噴射してユダヤ教の儀式を妨害し、物議を醸した経歴を持つ。
ポーランドにおけるユダヤ人虐殺の歴史
第2次世界大戦中のナチス・ドイツ占領下のポーランドでは、イエドバブネ事件以外にも複数のユダヤ人虐殺事件が発生した。ナチス・ドイツによるホロコーストの中心地であったポーランドでは、特に農村部において、ユダヤ人数千人が隣人であるポーランド人によって殺害された。一方で、自身と家族の命を危険にさらしてユダヤ人を救ったポーランド人も多数存在する。
イスラエルのホロコースト記念館「ヤド・バシェム」は、第2次世界大戦中にユダヤ人の救助に貢献したとして、国籍別では最多となるポーランド人7000人以上を「諸国民の中の正義の人」に認定している。



