長崎市で8月9日に開かれた平和祈念式典に、「胎内被爆者の会 長崎」のメンバー5人全員が初めて出席した。全員が80歳で、被爆から81年が過ぎる中、被爆者団体の存続が課題となる一方で、会は「つながりを増やし、活動を広げていき、核兵器廃絶を訴えたい」と力を込める。
「一番若い私たちがつなぐ」
式典終了後、組織結成のきっかけを作った陸門良輔さん(80)は「被爆者がいなくなる時代がくる。一番若い私たち胎内被爆者が、平和をつないでいかなければならないという思いで参加した」と語った。
陸門さんは6人きょうだいの末っ子で、爆心地から3・3キロの長崎市伊良林の自宅にいた母親の胎内で被爆した。外にいた父親は爆風で吹き飛ばされ、右耳がきこえなくなった。学徒動員で爆心地近くの幸町の兵器工場にいた長姉は、嘔吐や発疹に悩まされ、74歳の時に白血病で亡くなった。陸門さん自身も小さい頃から病気がちで、難聴を患う。
語り部としての活動
陸門さんは広島市で結成された「原爆胎内被爆者全国連絡会」に2015年から所属。「俺は胎内被爆者やけんよう分からん。(原爆を)見とるわけでもない」と被爆を語るのをためらっていたが、語り部が少なくなっていると知り、約6年前から家族の話などをするようになった。
一時期、連絡会の中で長崎在住は陸門さんだけになった。長崎市内で2年前に開かれた連絡会の集いで、県内に住む胎内被爆者の参加を呼びかけたところ、5件ほど連絡があり、活動の輪が広がった。昨年7月に連絡会の長崎支部を設立し、今年から県内の活動に力を入れるため「胎内被爆者の会 長崎」に名称を改めた。



