フィリピン残留日本人2世が沖縄の父の親族を捜す「人生最後の願い」
フィリピン残留2世が沖縄の父の親族を捜す

戦争で父と生き別れたフィリピン残留日本人2世の女性が、「人生最後の願い」として沖縄に戻った父親の親族を探している。この女性は、今年3月に日本国籍を認められたフィリピン残留日本人2世の賀数アデライダさん。

父、賀数昇さんは沖縄県糸満市の出身で、ボートでフィリピンに渡り、アデライダさんの母と1927年にいまのケソン州で結婚した。父母は、三女のアデライダさんを含め6人の子どもに恵まれた。父はタガログ語を流暢に話すことができ、ココナツオイルの売買をしていた。小学1年生だったアデライダさんを下校時には迎えに来てくれる優しい父だったという。

戦争で引き裂かれた家族

アジア・太平洋戦争が始まると、通訳として日本軍と行動を共にした。敗戦前に父と長兄が米軍の捕虜となり収容所に入れられた。敗戦後、父は家族全員で日本に帰ることを望んだが、父と長兄のみが日本に強制送還された。

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フィリピンに残された母とアデライダさんら3人姉妹、2人の弟は、反日感情が渦巻く中で身を守るため、バタンガス州の母方の親類のもとに引っ越した。母は魚を売って生計を立てたが、アデライダさんは学校を卒業することもできず、食べるものにも事欠く極貧の生活を送った。

父からの手紙と最期

1950年、沖縄で暮らす父から手紙が届いた。「みなと一緒に日本に帰らなかったことを後悔している」などとつづられていた。長兄が米軍基地で働いていることも記されていた。1951年に長兄の手紙で父の死を知り、家族で黒い服を着て撮った写真が残されている。

翌年、父は60歳で死亡。1970年代には、「賀数昇一」の名で日本国籍を取得していた長兄が、年老いた母と過ごすためにフィリピンに帰国。日本に戻ることなく、92年に亡くなった。

アデライダさんは、昨年、現在もフィリピンに残る親族の情報を求めている。

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