1996年7月、堺市で発生した病原性大腸菌O157による集団食中毒は、児童7892人を含む計9523人が感染し、女子児童3人が死亡する大惨事となった。あれから30年。小学6年生で被害に遭った女性が現在、管理栄養士として給食の安全を守る立場に立っている。
「歩けなくなるほどの腹痛」から30年
堺市内のこども園で給食を担当する管理栄養士の中井渚さん(42)は、当時を振り返る。「ずっとおなかが痛くて、体に力が入らなくなり、気づいたら歩けなくなっていた」。経験したことのない強い腹痛に襲われ、トイレにこもり、はいつくばって家の中を移動する日々が1週間続いた。幸い後遺症はなかった。
1か月ほどが過ぎた8月半ば、親から級友が亡くなったと聞かされた。夏休みが終わって学校に行くと、その子の机の上に花が置かれていた。「毎日あいさつを交わし、楽しく話をしていた子がいなくなってしまったのに、学校は再開して日常が続いていくことに違和感があった」と中井さんは語る。
管理栄養士への道
中井さんは親から管理栄養士を勧められ、「栄養の知識は生活で役立つし、親になった時に子どもにちゃんとしたご飯を作ってあげられる」と考え、大学の栄養学部に進んだ。当時は自身の食中毒の経験とは結びついていなかったという。
大学で専門的に学び始めてから、O157集団食中毒の恐ろしさをはっきりと理解した。O157を含めた食中毒の知識を得て、「感染力が強く、危険なO157の食中毒が、安全でなければいけない給食で起きていたのか」と実感した。
卒業後、管理栄養士として学校給食の調理場で働くようになった。何百人という子どもが自分が作ったものを口にする。そう考えると、責任の重さが身に迫った。中井さんはノロウイルスなどが付きやすい二枚貝は食べず、少しでも自身や家族の体調に不安がある時は絶対に出勤しないなど、日常生活から対策を徹底している。
「絶対安全」を誓う
今では小学生の子ども2人を育てる親になり、安全な給食を食べてほしいという気持ちはより強くなっている。「子どもたちは『給食は安全』と信頼して食べてくれている。『まあ、いっか』で対策や仕事をないがしろにしない」。30年前の経験があるからこそ、「絶対安全」を強く誓う。
衛生管理の改革
堺市O157集団食中毒では、食材が長時間常温で放置されたり、食材が傷んでいないかのチェックを怠ったりするずさんな衛生管理体制が明らかになった。当時は給食施設や食堂などに特化したマニュアルはなく、国は1997年に学校給食施設など向けの「大量調理施設衛生管理マニュアル」を作成。調理従事者が食材を必ず点検することや、加熱調理は中心部を75度で1分以上加熱することなどを盛り込んだ。
同年に文部省(当時)から調理場の定期的な検査などを求める給食に特化した衛生対策の通知も出され、2009年には学校給食法に基づく学校給食衛生管理基準に格上げされた。今年3月から見直しを検討する有識者会議が始まり、二枚貝の加熱処理の規定などを検討している。
堺市では集団食中毒後、独自に納入前の食材についてO157の検査を行うなどの対策を導入し、現在も続いている。学校給食施設に起因する食中毒の発生件数は近年、年10件以下にとどまり、死者も出ていない。文部科学省によると、1997年以降は学校給食でO157の食中毒の発生報告はない。
忘れない日
堺市は、多くの児童に食中毒の症状が出た7月12日を「O157堺市学童集団下痢症を忘れない日」とし、毎年追悼の式典を開いている。現在も原因食材や感染経路は特定できていない。



