ハンセン病で家族と引き離され絶望した男性、半世紀ぶりの古里で語り部活動 「もうちょっと頑張って人生を過ごしたい」
ハンセン病で家族と引き離され絶望した男性、半世紀ぶりの古里で語り部活動 「もうちょっと頑張って人生を過ごしたい」

小学4年の秋、午前4時ごろ。山城清重さん(83)は「旅行に行く」と父に起こされた。自宅から1時間以上歩いて江の川の岸に着き、渡し舟で対岸へ向かうと、白衣を身につけた人たちがいた。何も聞かされないまま、カーテンで外が見えないワゴン車に乗せられ、運ばれた先は岡山県瀬戸内市の国立ハンセン病療養所「長島愛生園」だった。

少年舎などで生活し、園内の小中学校に通った。親族が面会に来る人もいたため、山城さんも「会いに来てくれるだろうか」と期待した。だが思いは届かず、「捨てられた」といつしか親を恨むようになった。

養子に出て先に入所していた実兄から「ここから一生出られない」と言われた時は、人生に絶望した。ある早朝、自ら命を絶つ人が立ち入るとのうわさがある崖へ向かったが、別の入所者に声を掛けられて我に返った。

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病気を隠して働き始める

やがて入所者でつくる自治会の活動などに携わるようになった。退所して社会復帰した先輩のつてを頼り、19歳で京都のパチンコ店に勤め始めた。最初の5年間は「病気が知られたら雇ってもらえないようになる。田舎にも帰れないし、家族にも迷惑がかかる」と病気を伏せ、後遺症が残る顔をマスクで隠し続けた。風邪や腹痛を患っても市販薬でしのぎ、病院へ行くことも避けた。

パチンコ店では、負けた腹いせに客から「何でお前の顔はゆがんでいるねん」と心ない言葉を浴びせられることもあった。一方で、「障害があるからと言って何が悪い」とたんかを切ってくれた別の客とは、後々マージャン仲間になったという。

「家族も同じだったんだと」

ハンセン病関西退所者原告団「いちょうの会」に加わり、訴訟の応援や手伝いをするうちに、山城さんの考えは変わっていった。「苦しみを抱えて生活をしているのは自分だけじゃない。家族も同じだったんだと」。父親への恨みも、「立場があるから一概に責められない。自分が年を重ね、周りのことも理解できるようになった」と振り返る。

半世紀以上ぶりの古里

関西を中心に教員や看護学生、小中高生らに向けた語り部活動を始めたのは、2016年に熊本地裁で元患者家族が国に謝罪と損害賠償を求めた訴訟の応援などに参加していた2017年頃から。家族への複雑な思いから「島根には絶対に帰らない」と決めていたが、2019年、関係者の縁で声がかかった島根での語り部活動を機に、半世紀以上ぶりに故郷の土を踏んだ。

再会した兄の勇さん(88)に「どこにいるか、いつもキヨのことを心配していた」と言われ、「人生で経験した一番の感動だった」と、わだかまりは消えた。

古里での語り部「特別で力が入る」

今年4月中旬には、出雲市の県立大出雲キャンパスを訪問。県内では6回目となる語り部活動で、看護師を目指す看護学科1年の学生たちに体験を語り、「人生色々あると思うが、勉強をして障害のある方を助けてあげてほしい」と伝えた。7月に大田市で開かれた7回目の講演後は、「古里でやるのは特別で力が入る。これからも、みんなと力を合わせ、壁を突破していきたい」と力を込めた。山城さんは「もうちょっと頑張って人生を過ごしたい」と話し、ハンセン病への理解を促進する活動を続ける考えだ。

ハンセン病とは

ハンセン病は、らい菌による感染症の一種。発症すると手足などの末梢神経がまひするなどの症状が出るが、感染力は弱く、人にはうつりにくい。治療薬の開発後も、国が1996年に「らい予防法」を廃止するまで患者隔離政策を続けたことで、差別や偏見を生んだ。厚生労働省によると、全国にある国立療養所(13施設)の入所者は5月1日現在551人で、平均年齢は89.2歳。

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