第27回参院選は2025年7月20日に投開票された。自民、公明の両党は改選66議席から大幅に減らす47議席の獲得にとどまり、石破茂首相が「必達目標」とした与党過半数に必要な50議席を3議席下回った。
衆院に続き、参院でも過半数を失った。国政選挙で2回連続の敗北。それも少数与党転落という歴史的大敗で、石破氏への責任論は噴出した。
続投宣言と党内の反発
しかし、石破氏は「続投」を宣言する。「国家に対する責任、比較第1党としての責任は果たしていかなければならない」と述べ、自民内は騒然となった。中堅若手を中心に両院議員総会を求める動きが表面化した。
農林水産副大臣だった笹川博義氏(衆院群馬3区)は、署名集めの中心的役割を果たす。「2度続けてNOを突きつけられてこのままなら、地方組織はもたない。自民党は瓦解(がかい)する」と訴えた。
自民王国・群馬の危機
戦後4人の首相を輩出した群馬県。参院選群馬選挙区は1人区になった2007年以降、6回の選挙で一度も自民党が議席を落としたことがない全国屈指の自民王国だ。
しかし、参政党新顔の猛烈な追い上げで、事前の期日前出口調査で負ける可能性も指摘されていた。最終的には2万余の票差で自民現職の清水真人氏が逃げ切ったが、笹川氏は「小選挙区単位で言えば数千の差でしかない」と振り返る。
父・笹川尭氏の複雑な心情
父の尭氏は、麻生政権で自民党総務会長を務めた元重鎮。石破氏とは初当選同期で長く懇意にしていた間柄だ。「父は政治的には石破氏と同志だった。ようやく(石破氏が首相に)なったわけだから思いは強かったと思う。俺のせがれが、何で先頭切ってやってんだ、という複雑な心情は言葉の端々に出ていた。でも、今回はダメだ」と笹川氏は語った。
石破氏は「自分は三木武夫たりえなかった」と述懐する。1975~76年、田中角栄、福田赳夫ら党内実力者から退陣要求を突きつけられても、最後まで抵抗した三木武夫元首相になれなかった、という意味だ。しかし、三木が粘ったのは76年衆院選に負けてもなお、党内の抵抗を押し切って続投を貫いたからだ。石破氏はその道を選ばなかった。



