ブロガーの藤原かずえ氏は、終戦の日に政府が主催した全国戦没者追悼式での高市早苗首相の式辞を批判した朝日新聞の社説に反論し、「反省」を強要する一部の新聞こそ「反省」すべきだと主張した。
朝日新聞の社説と首相の過去の発言
朝日新聞は16日付社説「危うい『反省』の風化」で、「首相式辞からは『反省』の文字が消えた。歴史に真摯(しんし)に向き合う姿勢が風化していないか。政権全体の姿勢が問われる」と指摘。さらに、高市首相が1995年に国会で「私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもない」と発言したことを取り上げて批判した。
藤原氏は「『反省』とは自らの過ちを認めて改善を誓うことです」と定義した上で、先の大戦に対し責任能力がない今の日本人が「反省」するのは不合理であり、血統を根拠に「反省」を強要するのは「罪人の子は罪人」とする危険思想だと述べた。当時野党議員だった首相の発言は妥当な責任主義に基づくものだと評価している。
国家の責任と不戦の誓いへの曲解
一方で、国家は世代を超えて継続するため過去の責任を受け継ぐ必要はあるが、今の日本政府が負うべき責任は「反省」という言霊を一国で未来永劫(えいごう)繰り返すことではなく、歴史に向き合って世界の戦争をなくすことだと指摘。戦後日本は、戦争放棄を憲法に定めることで先の大戦を「反省」し、国家賠償を誠実に行うことで「謝罪」したとし、首相の式辞はその81年の歴史を背景に「戦争の惨禍を、二度と繰り返させない」と不戦を誓ったものだと説明した。
朝日新聞は15日配信の記事で、石破茂前首相らが「繰り返さない」と述べてきたのに対し「『せ』の1文字が加わった」として懸念を示した。大学教授の見解として、「繰り返さない」は自ら戦争を起こした日本が不戦の決意を述べていると読めるのに対し、「繰り返させない」は相手国が戦争を引き起こしたように読める可能性があると報じた。
藤原氏はこれを「平和構築を誓う首相の決意から論点をそらす曲解」と批判。常識的に考えれば、「繰り返させない」は日本を含めた全ての国家に戦争を起こさせない決意と解釈するのが妥当で、先の大戦の原因を他責したと解釈するのには無理があると述べた。
歴史に向き合うべきは新聞
藤原氏は、そもそも日本を先の大戦に導いたのは、日露戦争報道の成功体験で商業主義に走り、参戦を煽(あお)る国民的熱狂を引き起こした当時の新聞だったと指摘。彼らは反戦の言論を曲解し、論者を「非国民」と攻撃したと振り返り、「歴史に真摯に向き合う必要があるのは新聞です」と主張した。
今を生きる日本人が平和を希求するのは、歴史に学んで戦争の悲惨さと平和の素晴らしさをよく理解しているからであり、祖先が戦争を起こしたことへの罪滅ぼしのためではない。このことを理解せずに「反省」という言霊を強要し続ける一部の新聞こそ「反省」すべきだと結論づけた。



