東日本大震災から15年。国土交通省東北地方整備局長として復旧の総指揮を執り、後に「伝説の次官」と称された徳山日出男が、当時の胸の内を初めて詳細に語った。着任わずか53日で未曾有の災害に直面し、自らを「ヤミ屋のオヤジ」と称して超法規的措置を次々と断行した経緯が明らかになった。
「棺おけを手配してくれないか」にひるんだ瞬間
2011年3月16日、震災発生から5日後。宮城県仙台市で陣頭指揮を執る徳山のもとに、岩手県陸前高田市の当時の市長・戸羽太から衛星電話が入った。徳山が「何でも困っていることがあるでしょ」と食い下がると、戸羽は「棺おけを手配してくれないか」と依頼した。
徳山は一瞬ひるんだ。国交省として重機や車両を調達した経験はあっても、棺おけの手配は初めてだ。管轄は厚生労働省かもしれないが、引き下がるわけにはいかない。「すぐやります」と即答した。
陸前高田市では全約8000世帯の半数が津波被害を受け、震災前の人口約2万4000人のうち、行方不明者を含め1800人以上が犠牲になった。遺体は泥まみれで、ガソリン不足により火葬もままならず、土葬のための棺おけが急務だった。
公文書に刻んだ「不退転の覚悟」
戸羽との電話から6日後、仙台市の国交省東北地方整備局災害対策室で、徳山は部下が作成した市町村長向けの公文書の案に手書きで2行を追加した。部下は「本当にいいんですか、こんなの。違法ですよ」と驚いた。しかし徳山は、国交省の所管外であっても被災地に必要なものは用意するという不退転の覚悟を、公文書に刻んだ。
この決断は、災害対策の歴史に残るものとなった。徳山は「ヤミ屋のオヤジ」と自らを称し、法規の枠を超えた判断を繰り返した。
原点は田中角栄との邂逅
徳山の原点には、元首相・田中角栄との出会いがある。若き日の徳山は、国土庁時代に田中から直接指導を受ける機会を得た。「闇将軍」とも呼ばれた田中の豪腕と、現場を最優先する姿勢は、徳山のリーダーシップの礎となった。
震災対応の最中、徳山は「もうそろそろ語ってもいいかな」と、後に計10時間にわたる取材に応じた。その内容は、ビジネスリーダーや官僚にとっての教科書ともいえる。
超法規的措置の連続
棺おけの手配以外にも、徳山は多くの超法規的措置を断行した。例えば、道路啓開のための重機の優先配備、仮設住宅用地の迅速な確保、瓦礫処理のための法規制の一時緩和など。いずれも通常の行政手続きでは時間がかかるが、人命を最優先に即断即決した。
「今の修羅場で、国交省に頼むことはありません」と突き放した戸羽市長も、徳山の決断力に信頼を寄せるようになった。後に戸羽は「徳山さんがいなければ、陸前高田の復旧はもっと遅れていた」と語っている。
東日本大震災の復旧・復興は、多くの官僚の尽力によって成し遂げられた。中でも徳山日出男のリーダーシップは、危機における行政の在り方に一石を投じるものだった。



