現代社会において格差や貧困が広がり、生活水準が低下しているにもかかわらず、なぜ私たちは抗議する代わりに怒りの矛先をマイノリティに向けがちなのか。映画監督のケン・ローチ氏や経済思想家の斎藤幸平氏も絶賛し、「インターネット登場以後、もっとも影響力のある論客」と評されるイギリス人ジャーナリスト、アッシュ・サルカール氏の新著『「マイノリティ支配」の正体:分断される社会と文化戦争の罠』の序章から、そのメカニズムを探る。
収入は減り、家賃は上がる「絶望の時代」
私たちは心の奥底で、何かが間違っていると感じている。懐に入ってくる収入、住んでいる家、購入する物品、頼りとするサービス、生存に欠かせない惑星といった実体的な環境が、悪化の一途をたどっている。例えば、ある友人は交際相手とのつらい別れの渦中に不動産業者に連絡を取り、賃貸契約の名義変更が必要になった。すると相手方は、名義変更は新たな契約であり、市場の実勢に合わせて家賃が月額300ポンド増額になるとメールで返答した。傷心のさなかに踏んだり蹴ったりだが、これは珍しいことではない。誰かが家賃を値上げされたとこぼす声が、ほとんど毎週のように聞こえてくる。
フルタイムの仕事はもはや貧困ライン以上の生活を保証しなくなった。実際、私たちは収入を削られ、家賃の支払いに一層追われ、社会の衰退感に息もできなくなっている。ある種の人々の言を借りれば、資本主義はこれまでに存在した他のどのシステムよりも多くの人々を貧困から救い出してきた。しかし、本書を手にしたほとんどの読者にとって、私たちの時代は不平等や不安感、コミュニティの欠如、情報過多によって定義されるだろう。これらは社会全体の状況であるにもかかわらず、私たちは孤立し、見捨てられたと感じている。
消えた「階級闘争」とすり替えられた「文化戦争」
かつては経済的不満が階級闘争に結びついていたが、今ではその怒りは文化戦争へとすり替えられている。真の支配者――巨大企業や超富裕層――は陰に隠れ、代わりに移民やLGBTQ+コミュニティ、フェミニストといったマイノリティが「敵」として標的にされる。サルカール氏はこれを「マイノリティ支配」という妄想と呼ぶ。実際にはマイノリティは権力を持たない弱者であるにもかかわらず、彼らが社会を支配しているという虚構が広められ、弱者同士が叩き合う構図が生まれる。
このすり替えは、経済的不満をそらすための巧妙な戦略だ。私たちの怒りは本来、賃金停滞や住宅費高騰の原因であるシステムに向けられるべきだが、メディアや政治家は文化問題に焦点を当てることで、真の支配者から注意をそらしている。
真の支配者を隠す「マイノリティ支配」という妄想
「マイノリティ支配」という考え方は、少数派が不当に力を得ているという誤った認識に基づく。しかし、実際の権力構造を見れば、富と影響力は依然として白人の男性エリートに集中している。サルカール氏は、この妄想がSNSやポピュリスト政治家によって増幅され、社会の分断を深めていると指摘する。例えば、移民が仕事を奪うという主張は統計的に裏付けられず、むしろ移民は経済に貢献している。それでも、こうした誤情報が拡散され、怒りの矛先を誤らせる。
政治の「観戦スポーツ化」とアテンションの罠
現代の政治は、あたかも観戦スポーツのように消費されている。私たちは政治家のスキャンダルや派閥争いをエンターテインメントとして楽しみ、その間に実質的な政策議論は置き去りにされる。この「観戦スポーツ化」は、アテンション・エコノミーによって加速されている。メディアは過激な発言や対立を煽ることで視聴率やクリック数を稼ぎ、結果として社会の分断がビジネスモデルとなる。私たちは知らず知らずのうちに、このアテンションの罠にはまり、本当に重要な問題から目をそらしている。
「つくられた怒り」から目を覚ませ
サルカール氏は、私たちが「つくられた怒り」から目を覚ます必要があると訴える。真の敵は、経済的不平等を拡大し、私たちを互いに戦わせるシステムそのものだ。このシステムを変えるためには、文化戦争に巻き込まれるのではなく、共通の経済的利害に基づいて連帯することが不可欠である。本書は、分断を乗り越え、真の社会変革を達成するための道筋を示している。



