2011年3月11日、国内観測史上最大のマグニチュード9.0を記録した東日本大震災が発生した。国土交通省東北地方整備局長として現場の総指揮を執った徳山日出男は、果断な決断で超法規的措置を繰り返し、津波被害の復旧で大きな役割を果たした。後に事務方トップの国交事務次官となり、「伝説の次官」と称される徳山。あれから15年が経った今春、当時の胸の内を計10時間かけて取材に語った。
「棺おけを手配してくれないか」にひるんだ
震災からわずか5日後の3月16日、徳山は岩手県陸前高田市の当時の市長・戸羽太と衛星電話でつないだ。津波で壊滅的な被害を受けた同市では、全約8000世帯のうち半数が被害を受け、約2万4000人の人口のうち1800人以上が犠牲となった。徳山は「何でもいいから言ってくれ」と繰り返したが、戸羽は「今の修羅場で、国交省に頼むことはありません」とかたくなだった。押し問答の末、戸羽は「棺おけを手配してくれないか」と打ち明けた。遺体は泥まみれで、ガソリン不足で火葬もできず、土葬にも棺おけが必要だった。徳山は「すぐやります」と即答した。
公文書に刻んだ「ヤミ屋のオヤジ」
国交省として棺おけの調達経験はなく、管轄は厚生労働省かもしれないが、徳山は引き下がらなかった。6日後、仙台市の災害対策室で、部下が作成した市町村長向けの公文書案に、徳山は手書きで2行追加した。部下は「本当にいいんですか、こんなの。違法ですよ」と驚いた。徳山は自らを「ヤミ屋のオヤジ」と称し、法規を超えた決断を記録に残した。この公文書は災害対策の歴史に残るものとなった。
田中角栄との邂逅が原点
徳山の原点には、元首相・田中角栄との出会いがある。若き日の徳山は、角栄の「現場第一」の姿勢に衝撃を受け、後の危機対応の基盤を築いた。震災後、徳山は超法規的措置を繰り返し、被災地の復旧に尽力。その決断はビジネスリーダーや官僚にとっての教科書とも言われる。



