「ヤミ屋のオヤジ」と公文書に刻んだ不退転の覚悟 震災から15年、伝説の国交次官が語る超法規的決断
「ヤミ屋のオヤジ」と公文書に刻んだ不退転の覚悟 震災15年

2011年3月の東日本大震災は、世界史に残る未曽有の災害だった。国土交通省東北地方整備局の局長として現場の総指揮を執った徳山日出男は、果断な決断で超法規的措置を繰り返し、津波被害の復旧で大きな役割を果たした。

「もうそろそろ語ってもいいかな」

後に事務方トップの国交事務次官となり、「伝説の次官」とも称される徳山。あれから15年が経った今春、当時の胸の内を計10時間かけて取材に語った。

Pickt横長バナー — Telegram用の共同買い物リストアプリ

「当時考えたことを初めてここまで話した」というその内容を基に、約10回にわたってお届けするドキュメント・危機のリーダー。配信は原則毎週木曜日。修羅場で重ねたその思考や判断は、ビジネスリーダーや官僚にとって最高の教科書だ。

第1回目は、混乱の中で「ヤミ屋のオヤジ」と自身を称した経緯と、原点にある田中角栄との邂逅から。

「棺おけを手配してくれないか」にひるんだ

「今の修羅場で、国交省に頼むことはありません」

国交省東北地方整備局長、徳山日出男は、電話口の言葉に突き放された感じがした。11年3月16日。国内観測史上最大規模のマグニチュード9.0を記録した東日本大震災からわずか5日後のことだ。

電話の相手は、津波によって壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市の当時の市長、戸羽太だった。災害対策車に搭載された衛星電話でつないだ戸羽に、津波被害の初期対応のため、宮城県仙台市で陣頭指揮を執っていた徳山は繰り返した。「何でもいいから言ってくれ」。戸羽は「頼むことはありません」とかたくなだった。

これまでは、道路を造ってほしいなどと国交省に陳情することはあったが、今のわれわれには国交省は必要ない――。そんなふうに聞こえた。徳山は食い下がった。「国交省の所管のことでなくてもいい。何でもいいから、何か困っていることがあるでしょ。大臣からも『何でも手伝え』と言われている」。

押し問答のようなやり取りの末、戸羽はようやく口にした。「本当にいいんですか。本当にやれますか」。「本当にやります」。そう答えた徳山に、戸羽は言った。「棺おけを手配してくれないか」。

徳山は一瞬ひるんだ。頭に浮かんだのは「棺おけって、どうやって買うんだ?」。国交省として重機や車両を買ったり、プレハブを準備したりすることはあるが、棺おけを用意した経験はない。棺おけの管轄があるとすれば厚生労働省なのかもしれないが、引き下がるわけにはいかない。「すぐやります」と伝えた。

「ヤミ屋のオヤジ」と公文書に刻んだ決意

陸前高田市では、全約8000世帯のうち半数が津波被害を受け、震災前に約2万4000人だった人口のうち、行方不明者を含め1800人以上(国交省資料)が犠牲になった。

当時、遺体は血まみれになっていたり、身体の一部が失われたりしていた。目や口、鼻の中まで泥まみれになった遺体を洗い流し、供養するのだが、ガソリン不足で火葬ができなかった。土葬にするにしても「遺体をまた泥まみれにするのは忍びない」ため、棺おけが必要だったのだ。

国交省の所管でなくても、被災地に必要なものは用意する。徳山の意思は固まった。そして、この決意が、災害対策の歴史に残る公文書につながることになる。

戸羽との電話から6日後。仙台市にある国交省東北地方整備局の災害対策室での出来事だった。部下が作った市町村長向けの公文書の案に、徳山は手書きで2行追加した。部下は驚いて言った。「本当にいいんですか、こんなの。違法ですよ」。

Pickt記事後バナー — 家族イラスト付きの共同買い物リストアプリ

闇将軍・角栄との面会が原点

徳山の超法規的決断の原点には、元首相・田中角栄との邂逅があった。若き日の徳山は、建設省入省後、道路行政に携わる中で、田中角栄から直接「道路は政治だ」と教えられたという。田中は「法律で縛られるな。現場で必要なことはやれ」と説き、その言葉が震災対応の原動力となった。

徳山は自らを「ヤミ屋のオヤジ」と称した。表向きのルールに縛られず、被災地のニーズに応えるため、時には法令のグレーゾーンを超える決断をした。その象徴が、公文書に自ら手書きで追加した「棺おけの手配」の一文だった。

この記事は有料会員限定です。残り2592文字。