連続テレビ小説『風、薫る』の舞台となった明治初期の日本。この時代、新聞には「大新聞」と「小新聞」という二つの異なるジャンルが存在していた。政治論説を前面に打ち出した大新聞に対し、小新聞は庶民の生活や事件、娯楽を中心に報道していた。この区分は、現代の新聞の起源を理解する上で極めて重要である。
大新聞と小新聞の特徴
大新聞は、主に政治や社会問題を論じる高級紙で、読者層は知識人や政治家、官僚など限られていた。一方、小新聞は事件や噂話、読み物を中心に、より広い大衆に向けて発行された。小新聞は、江戸時代の瓦版の流れを汲み、平易な言葉で書かれていたため、女性や子どもを含む多くの人々に読まれた。
伝記作家で偉人研究家の真山知幸氏は、著書や記事でこの点を詳述している。真山氏によれば、小新聞は政治から距離を置いていたため、言論統制の打撃を比較的受けず、事業として大新聞よりもはるかに成功を収めたという。
小新聞から朝日新聞、読売新聞へ
小新聞の中から頭角を現したのが朝日新聞である。朝日新聞はもともと小新聞の系譜に属していたが、やがて政治や経済も含めて報道範囲を広げ、社説欄も備えるようになった。この紙面づくりは、今日の一般紙に通じる編集スタイルの先駆けとされる。同様に、読売新聞も小新聞としてスタートし、後に全国紙へと成長した。
真山氏は、「政治や経済も含めて報道範囲を広げ、社説欄も備えるようになったその紙面づくりは、今日の一般紙に通じる編集スタイルの先駆けといえよう」と述べている。
自由民権運動の衰退と「中新聞」化
自由民権運動が衰退に向かうと、政論を看板にしてきた大新聞は存在意義を失いつつあった。その過程で、大新聞と小新聞は互いの性質を取り入れながら「中新聞」化が進んだ。政治を論じるだけでは読者を引きつけられず、娯楽だけでは時代を語れないというジレンマが、両者の接近を促したのである。
この融合は、日清戦争(1894-1895年)や日露戦争(1904-1905年)の戦争報道によってさらに加速した。速報性が重視される戦時中、小新聞主導のかたちで大新聞と小新聞が一体化し、政論は紙面から姿を消していった。結果として、庶民の事件や暮らしをすくい上げてきた小新聞こそが、近代日本のジャーナリズムの主流を形づくった。
『風、薫る』と小新聞的ジャーナリズム
朝ドラ『風、薫る』に描かれる、女郎の心中事件や廃娼運動を報じる新聞は、まさにこの小新聞的なジャーナリズムの延長線上にある。政治の論理ではなく、市井に生きる人々の痛みや声をすくい上げること。それは江戸の瓦版から続く、もう一つの「新聞の使命」だった。
真山氏は、「政治の論理ではなく、市井に生きる人々の痛みや声をすくい上げること。それは江戸の瓦版から続く、もう一つの『新聞の使命』だった」と強調する。
参考文献
本記事の内容は、以下の文献に基づいている。土屋礼子著『大衆紙の源流 明治期小新聞の研究』(世界思想社教学社)、坪内稔典著『正岡子規 言葉と生きる』(岩波新書)、興津要著『明治新聞事始め 文明開化のジャーナリズム』(大修館書店)、奥武則著『幕末明治 新聞ことはじめ ジャーナリズムをつくった人びと』(朝日選書)。



