9・11から20年近く、写真で振り返るアフガニスタン戦争の全記録
写真で振り返るアフガニスタン戦争の全記録

2001年9月11日の同時多発テロから数週間後に始まったアフガニスタンにおける米国の「終わりなき戦争」は、20年近くに及んだ。2021年8月15日、首都カブールが再びタリバンによって制圧され、混乱の中で終わりを迎えた。

ニューヨーク・タイムズの記者たちはこの戦争を初めから終わりまで取材し、傷ついた風景の中で不確かな未来を生きるアフガニスタンの人々の生活を記録し続けた。

2001~2002年 戦争の始まり

「不朽の自由作戦」は2001年10月7日、アルカイダとタリバンを標的とする米国の空爆作戦とともに始まった。米軍の特殊作戦部隊はタリバンを権力の座から追い落とすため、タリバンに反対するアフガニスタンの民兵組織、主に北部同盟と連携した。カブールは11月中旬、タリバンの牙城だったカンダハルとともに陥落した。

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12月には、アルカイダの指導者オサマ・ビンラディン容疑者がトラボラ周辺の山々を抜けてパキスタンへと逃れた。同月、ハミド・カルザイ氏が率いるアフガニスタン暫定政府が樹立された。

2003~2007年 イラク戦争への兵力振り向け

2003年5月、ドナルド・ラムズフェルド国防長官(当時)はアフガニスタンでの主要な戦闘作戦の終結を宣言した。大規模な復興事業が進んでいる最中、約8千人の米軍部隊が駐留していた状況でも、ブッシュ(子)大統領の政権は戦闘のための兵力をイラク戦争へと振り向け始めた。

2006年には、タリバン主導による反乱が激しくなり、待ち伏せや自爆による攻撃が増えた。米国と同盟国による訓練や装備提供にもかかわらず、アフガニスタンの治安部隊は、パキスタンの武装勢力から国境を越えた支援を受けるタリバンが再び台頭するのを抑え込めなかった。2007年までに、アフガニスタンに駐留する米軍部隊の兵数は2万5千人に達した。

2008~2010年 再び関与強化、増派

2009年2月、新任の米国大統領だったバラク・オバマ氏はアフガニスタンでの戦争に再び関与を強めると表明し、すでに派遣されていた3万6千人に加え、1万7千人の米兵を追加でアフガニスタンへ送った。12月には、アフガニスタン治安部隊を組織・育成するための「増派」を発表した。タリバンの反乱に立ち向かう任務を引き受けるのに十分な力をつけさせるためだ。計画にはさらに3万人の米軍部隊の派遣が含まれ、2010年半ばまでに派遣総数を10万人近くにまで引き上げた。

2009年12月、カブールのホテルの近くで自爆テロが起き、少なくとも8人が死亡し、数十人が負傷した。

2011~2013年 派遣部隊の縮小へ

2011年5月、米海軍特殊部隊によってパキスタンのアボタバードでオサマ・ビンラディン容疑者が殺害された。この作戦は、アフガニスタン戦争における転換点となった。その後、米軍は駐留部隊の縮小を開始し、2011年後半には約10万人に達していた兵力を段階的に削減していった。2013年までに、駐留部隊は約3万3千人にまで減少した。

2014年には、米軍は正式な戦闘任務を終了し、アフガニスタン治安部隊への助言・訓練支援に移行した。しかし、タリバンは勢力を拡大し続け、政府軍との戦闘が激化した。

2021年 カブール陥落、戦争の終結

2021年8月15日、タリバンが首都カブールを制圧し、アフガニスタン政府は崩壊した。米軍とNATO軍は撤退を完了し、20年に及ぶ戦争は終結した。カブールの空港では、国外脱出を試みる人々で混乱が生じた。この戦争で、アフガニスタンの多くの市民が命を落とし、傷ついた風景と不確かな未来が残された。

ニューヨーク・タイムズの記者たちが記録した写真は、戦争の始まりから終わりまで、アフガニスタンの人々の生活と、戦場となった土地の変遷を伝えている。

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