中国浙江省杭州の世界遺産・西湖のほとりに、苔むした坑道の入り口がある。この坑道は「704工程」と呼ばれ、文化大革命のさなか、毛沢東の後継者に指名された「十大元帥」の一人、林彪が毛を暗殺する「武装クーデター」の拠点として建設したと説明されている。
704工程の建設と林彪事件
704工程の名称は、着工が1970年4月だったことに由来する。完成は、林が毛から一転して批判され、軍用機でソ連への亡命を図り、モンゴルの草原への着陸に失敗して死亡した71年9月の「林彪事件」の数カ月前だった。
サッカーコート約半分に相当する面積計約4000平方メートルの坑道内には、作戦指揮室や通信室のほか、地上の林の居室と結ぶエレベーターもある。居室は、日中戦争の戦傷が元で晩年、光を嫌ったという林のために、昼でも薄暗かった。704工程は、林の療養用「別荘」の建設が名目だった。
クーデター計画をめぐる異論
心身に不調を抱えた林がクーデターを計画したとする説には現在も異論が根強い。「計画」は、林の息子で空軍作戦部副部長だった林立果が主導したとされ、その「紀要(概要)」が事件2カ月後、共産党内に配布された。翌年8月には党機関紙、人民日報にも掲載され、多くの国民に知らされた。
林彪の経歴と文革の素地
毛の「親密な戦友で後継者」とされた林彪は59年、数千万人の餓死者を出した農工業政策「大躍進」について毛を批判して失脚した彭徳懐の後任として国防相に就任。後に毛を熱狂的に支持する若者「紅衛兵」が掲げた赤色の小冊子「毛主席語録」の発行など毛に対する個人崇拝を進め、66年の文革発動の素地を作った。その後、毛に次ぐ党副主席にもなり、69年4月の党大会で、毛の「親密な戦友で後継者」と党規約に明記されていた。
その林彪が毛の暗殺を試みたという説明は、毛の権威を傷つけた。