日本と中国は1972年の国交正常化から半世紀以上が経過したが、今なお政治的な緊張関係が続いている。なぜ隣国同士でありながら、相互理解が深まらないのか。著作家・宇山卓栄氏の著書『「地理で考える」は武器になる』(秀和システム新社)では、その背景に中華思想と地理的条件が深く関わっていると指摘する。
「世界の真ん中」と名乗る国
中国という国名は、英語で「China」、フランス語で「Chine」と呼ばれるが、中国人自身は「中国(Zhongguó)」と称する。この名称は「中華人民共和国」の略称であると同時に、「世界の中心にある国」という意味を内包している。しかし、地球は球体であり、表面上の中心は存在しない。日本もアメリカもイギリスも、ある意味では世界の中心であり、また極東や極西の辺境でもある。それにもかかわらず、中国人は数千年にわたり、自らを「文明の中心であり、世界のへそである」と信じてきた。これが中華思想である。
人間が住める唯一の世界だった
周辺国である日本、韓国、ベトナムから見れば、この考え方はエゴイズムに映る。「俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの」という態度や、「世界の秩序は中国に従うか従わないかで決まる」という発想は、現代の国際法や国連憲章が掲げる主権平等の原則と真っ向から対立する。では、なぜこのような世界観が生まれたのか。宇山氏は、それは中国人の性格が尊大だからではなく、地図を見れば一目瞭然だと述べる。
古代の中国人にとって、自分たちの住む場所こそが人間が住める唯一の世界だった。彼らの視界に入っていた地理的条件が、彼らに「ここが中心だ」と確信させる構造になっていたのだ。
雪山、砂漠、密林、海がつくる「鳥かご」
中国の国土は、西側をヒマラヤ山脈やパミール高原、タクラマカン砂漠などの自然の障壁に囲まれ、東側は太平洋に面している。この地形は、外部からの侵入を防ぐ一方で、内部の人間にとっては「自分たちの世界がすべて」と思い込ませる閉鎖的な環境を作り出した。宇山氏はこれを「鳥かご」に例え、内部に閉じ込められた文明が自らを絶対的な中心と見なすようになったと説明する。
広大で肥沃な土地が巨大都市をつくった
黄河や長江流域の広大で肥沃な平野は、大規模な農業を可能にし、人口集中と巨大都市の形成を促した。これにより、中国文明は周辺地域よりも圧倒的に豊かで発展した社会を築き上げ、その優位性が「中心」という意識をさらに強化した。
外側に住んでいるのは「野蛮な未開人」
中華思想では、中国の外側に住む人々は「野蛮な未開人」と見なされた。これは単なる偏見ではなく、実際に中国の文明水準が高かったこと、そして外部との交流が限られていたことに起因する。中国の皇帝は、周辺国からの使者を「朝貢」として扱い、対等な外交関係を認めなかった。
皇帝を激怒させた日本からの手紙
歴史的に、日本が中国に送った国書が皇帝の怒りを買った事例がある。例えば、隋の煬帝に送られた「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という手紙は、対等な関係を主張したため、煬帝を激怒させた。このようなエピソードは、中国が自らを上に置く秩序を当然視していたことを示している。
「中国と対等な国なんて存在しない」
現代においても、この考え方は根強く残っている。中国の指導者や国民の一部は、中国と対等な国は存在しないと暗に信じている。この姿勢は、国際社会での摩擦の一因となっている。
現代に蘇る「一帯一路」の野望
習近平政権が推進する「一帯一路」構想は、古代のシルクロードを復活させ、中国を中心とした経済圏を築く試みである。宇山氏は、これも中華思想の現代的表現であり、中国の「中心」としての地位を再確認する動きだと分析する。
絶対正義は「中原の安定と繁栄」
中国の外交政策の根底には、「中原(中国の中心部)の安定と繁栄」が絶対的な正義とする考えがある。このため、周辺国や国際社会の反発を招く行動も、自国の利益と安定のためには正当化される。こうした世界観は、地理的制約から生まれたものであり、現代の国際政治においても無視できない要素である。



