LINEヤフー前会長の川邊健太郎氏が、自身の起業の原点からヤフーへの売却までを、インタビューで詳細に語った。1995年に青山学院大学の学生だった川邊氏は、東京・恵比寿のナウル・マンションで複数の学生と共に「電脳隊」を結成。その後、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の学生・田中祐介氏も加わり、96年12月に有限会社電脳隊を設立した。
電脳隊の設立と初期事業
電脳隊は、企業のホームページ作成代行を主な事業としてスタート。しかし、受注生産による下請け作業では価格競争に巻き込まれるため、差別化競争への転換を模索した。川邊氏は「プラットフォームという仕組みを作り、使用料を取るビジネスモデルを考えた」と振り返る。97年夏には1カ月間休業し、アメリカ・シリコンバレーを訪問。モバイルインターネットの可能性を肌で感じたという。
IPOとM&Aの両にらみ、最終的にヤフーへ
電脳隊は成長を続け、IPO(新規株式公開)とM&A(合併・買収)の両方を視野に入れた戦略を展開。しかし、最終的にはヤフーに54億円で売却される道を選んだ。川邊氏は「上場ではなく、ヤフーというプラットフォームに加わることで、より大きな価値を生み出せると判断した」と説明する。この決断は、当時のインターネット業界の動向や、ドコモの夏野氏との衝突など、様々な経験が背景にある。
電脳隊のその後と川邊氏のキャリア
売却後、電脳隊のメンバーはヤフーに統合され、川邊氏はLINEヤフーの前会長にまで上り詰めた。同氏は「あの時の決断が、その後のキャリアの基盤となった」と語る。現在もインターネット業界の第一線で活躍する川邊氏の証言は、日本のIT産業の歴史を紐解く貴重な資料となっている。
この証言は、著書『7つの激変』の内容の一部であり、全3回のインタビューシリーズの第1回として公開された。川邊氏は、1995年のWindows 95発売から現在に至るまでの四半世紀を、自身の経験を通して語っている。



