1980~90年代に隆盛を誇った国産ワープロソフト「一太郎」。日本を代表する国産ソフトがマイクロソフトの「ワード」に逆転を許した背景には、当時、OS市場の9割以上を握っていたとされる「ウィンドウズ」の存在があった。
一太郎の快挙と日本語変換能力
一太郎は1985年に発売された日本語ワープロソフトで、発売と同時に爆発的に売れ始め、1997年にはシリーズの累計出荷本数が1000万本を突破。国産パソコンソフトとしては初の快挙で、開発・販売を手がけるジャストシステムは「日本一のソフトメーカー」と呼ばれた。
ヒットの要因は、日本語の文章の優れた変換能力にあった。長い文章を書いても、スペースキーを押すだけで単語などを自動で判定し、ひらがなを漢字と送りがなに高い精度で変換できる。当時は画期的な技術で、パソコンでこうした変換ができるのは一太郎だけだった。
マイクロソフトとの共存共栄
パソコンのOSを提供するマイクロソフトと、応用ソフトを提供するジャストシステムはもともと「共存共栄」の関係にあった。まだパソコンが普及していなかった時代、消費者はワープロソフトを使うためにパソコンを買った。一太郎が売れれば売れるほど、パソコンに必要なOSも普及する。ジャストシステムにとっても、マイクロソフトのOSがなければパソコン上で一太郎を動かすことができない。両社は互いになくてはならない存在だった。
ジャストシステム創業者で元社長の浮川和宣は「新しいOSが出る前にはマイクロソフトから早めに情報をもらって、発売に合わせて一太郎を供給できるようにした。ウィンウィンの関係だった」と振り返る。
ワードの登場と逆転
両社の関係が少しずつ変わっていったのは、マイクロソフトが90年代初め、日本語ワープロソフトの「ワード」を供給し始めてからだ。ワードはワープロソフト市場で一太郎と競合するソフトだった。
ただ、ジャストシステムは当時、ワードをライバル視していなかった。英文用のワープロソフトとして開発されたワードは、日本語の変換機能が十分でなく、一太郎の人気を脅かすような性能ではなかったからだ。
浮川の妻で一太郎を開発したプログラマーの初子は「店頭の販売で戦っても、ワードは強くなかった。一太郎の方が圧倒的に性能が良く、ワードは敵ではないという感じだった」と語る。
販売を支えた孫正義
一太郎の店頭販売はソフトの流通大手・日本ソフトバンク(現ソフトバンクグループ)社長の孫正義が支えていた。「新製品を出すと、それを全国に流通してくれるのがソフトバンク。孫さんは一太郎をよく売ってくれた」(初子)。国民的ワープロソフトの座は揺るぎないように見えた。



