地政学の変化により、効率性を追求するだけでは企業価値を高められない時代になった。コストと見なされがちだった経済安全保障上のリスク管理を経営課題に組み込むことが、企業価値の向上につながるという。元国家安全保障局長の北村滋氏が、政府による企業制度改革の意義を解説する。
国際情勢への対応が急務に
冷戦後の世界経済は「市場は国境を超え、相互依存は平和をもたらす」という前提で築かれてきた。企業は効率性を追求し、国家は市場の自由を保障するという役割分担が成長の源泉だった。しかし、その前提は揺らいでいる。
ロシアによるウクライナ侵略はエネルギー確保が安全保障そのものであることを再認識させた。中国は重要鉱物の輸出管理を経済的威圧の手段に用いている。半導体や人工知能(AI)を巡る競争は、企業間だけでなく国家間の争いの様相を呈している。
市場経済だけで国家は守れない。デリスキングはこれまで国家の通商政策や外交・安全保障政策として論じられることが多かったが、今、企業に関する制度も変わり始めている。
制度改革の共通方向性
経済産業省の「経済安全保障経営ガイドライン」、金融庁と東京証券取引所が改定した「コーポレートガバナンス・コード(企業統治指針)」、経産省の「企業買収における行動指針」Q&A、法制審議会(法相の諮問機関)で進む会社法制の見直し、そして対内投資の審査を強める外国為替及び外国貿易法(外為法)の改正。これらは所管も目的も異なるが、一つの流れとして見ると、経済安全保障が企業価値の新たな尺度になっているという共通した方向性が浮かび上がる。
調達分散と情報保全の重視
1月に公表された経営ガイドラインは、経済安全保障を経営陣が主体的に担う経営課題として位置付けた。「自律性」と「不可欠性」という二つの概念が注目される。自律性は特定国や特定企業への過度な依存を避け、供給途絶や経済的威圧に耐え得る経営基盤を備えることを指す。不可欠性は自社の技術や製品を国際市場で代替困難な存在に高めることを指す。調達先の分散や重要技術の保護はコスト増を伴うという発想を転換し、供給の安定性や信頼性そのものが市場から評価される価値になり得るとした。デリスキングの企業版だ。
7月に改定されたコーポレートガバナンス・コードにも同じ変化が見られる。解釈指針は、サイバーセキュリティー、経済安全保障を巡る環境変化などの地政学的要因による供給網の途絶、技術情報流出への対応を、リスク管理の考慮事項に「含まれ得る」と例示した。地政学上のリスクが取締役会の議題として名指しされた意味は小さくない。国家が安全保障政策への協力を企業に求めているのではなく、企業価値を守るために取締役会が地政学を理解する必要があるという含意だ。
企業買収の実務にも影響
企業価値を測る物差しの変化は、企業買収の実務にも表れている。7月に公表された買収指針のQ&Aは、企業価値を左右する要因として経済安全保障への対応を明示した。供給網の強化や技術情報の流出防止といった取り組みが将来の収益を押し上げたり、経営の安定性を高めたりしたと投資家が判断した場合には、それらも企業価値に影響するとした。



