7月末から8月初めにかけて、外国為替市場では極めて異例の出来事が起きました。日本政府・日銀による円買い介入に、米国財務省も参加したのです。今回の日米協調介入の背景には、どのような思惑があるのでしょうか。
日米協調介入とその背景にある思惑
7月末、ドル円は一時1ドル=164円近辺まで上昇しましたが、日米当局による対応を受けて一気に155円台前半まで円高が進みました。米国が円買い介入に参加するのは1998年以来で、今回の日米協調は実に28年ぶりとなります。
さらに興味深いのは、米財務省が通常のようにドルを売って円を買ったのではなく、ユーロを売って円を買ったと報じられていることです。ベッセント米財務長官も、これは米国の保有資産の再配分だと説明しています。つまり米国側には、「円を強くしたいが、同時にドル安を誘発するようなドル売りは避けたい」という事情があったと考えられます。
今回の最大のポイントは、単なる「円安阻止」ではありません。むしろ日米双方が、円安が行き過ぎた場合に金融市場全体へ波及するリスクを共有し始めたことにあります。
なぜ米国は円買いに参加したのか
米国側の事情を考えるうえで重要なのが、米国債市場です。
日本が大規模な円買い介入を行う場合、これまでは外貨準備として保有する米国債などを売却してドルを調達することが一般的でした。日本は世界有数の米国債保有国ですから、日本による米国債売却が大規模になれば、米国長期債価格の下落、すなわち長期金利の上昇につながる可能性があります。
現在の米国では、財政赤字や国債発行増加を背景に、長期金利と米国債需給に対する警戒感があります。そこに日本の介入に伴う米国債売りが重なれば、米国自身の金融市場にストレスを与えることになりかねません。
つまり今回の米国の協力は、「日本の円安を助ける」というよりも、米国債市場を含む世界の金融市場を安定させるという米国自身の利益にもつながっていると考えた方が分かりやすいでしょう。
この意味で非常に重要なのが、FRBのFIMAレポ・ファシリティです。
FIMAは、外国の中央銀行などが保有する米国債を担保にして、FRBからドルを調達できる仕組みです。ベッセント財務長官は、日本がこの制度を利用することを歓迎するとともに、現在の上限である600億ドルについて、拡大をFRBが検討することは合理的だとの考えを示しました。これは非常に重要な変化です。
日本が米国債を市場で大量に売却しなくても、米国債を担保にドルを調達し、そのドルで円を買うことができれば、「円買い介入」と「米国債市場の安定」を両立させることが可能になるからです。
言い換えれば、FIMAは単なる金融機関向けの流動性供給制度ではなく、今回のような局面では、為替介入を支える金融インフラとして機能する可能性があります。
介入だけでは円安の流れは変わらない
ここで市場が注目しているのが、介入後のドル円の動きです。
介入直後には155円台まで円高が進みましたが、その後は円安方向に戻り、8月11日には159円台まで上昇しました。つまり、日米協調介入によって相場の流れを一時的に変えることには成功したものの、ファンダメンタルズまで変わったわけではありません。
この点について、ベッセント財務長官自身も重要な発言をしています。
同氏は、介入によって市場にシグナルを送ることはできるものの、最終的には日本の政策とファンダメンタルズが重要だとの認識を示しています。つまり、米国も「介入だけでは円安を反転させることはできない」と理解しているのです。
そのため今後は、日銀の追加利上げが重要になります。今回の介入をきっかけに、市場では9月以降の日銀の利上げ観測が強まっています。一方で、日本では長期金利も上昇しており、財政拡張への懸念もあります。
円安を止めるために金利を引き上げればよい、という単純な状況ではありません。短期金利を引き上げれば円にはプラスですが、長期金利が急上昇すれば、日本国債市場や金融機関への負担が大きくなります。
米国が警戒する「トリプル安」
もう一つ忘れてはいけないのが、米国市場の「トリプル安」です。
通常、米国の長期金利が上昇すればドル高になりやすいのですが、財政や米国債への信認が低下する局面では、株安・債券安・ドル安が同時に進む可能性があります。
もし米国債が売られ、長期金利が上昇し、それと同時にドルまで下落すれば、世界の金融市場に大きなストレスがかかります。
ベッセント長官が今回の協調介入について、円安が他国の通貨安競争を誘発する可能性や、世界の金融市場への悪影響を警戒していると説明したことは、この点から見ると非常に興味深いものです。
市場が試すのは「日米の本気度」
では、今後ドル円はどうなるのでしょうか。
市場が試しているのは、単純に「次は何円で介入するのか」という問題ではありません。
むしろ重要なのは、日米両政府がどこまで本気で円安を止める意思を持っているのかです。
ベッセント長官は8月4日、「米国は日本を支えるために必要なことは何でもする」との趣旨の発言をしています。さらにFIMAの拡大まで支持していることを考えると、今回の日米協調は一度限りの介入ではなく、必要に応じて金融面からも日本を支える枠組みへ発展する可能性があります。
ただし、介入後にドル円が159円台まで戻ったことも重要な事実です。
これは市場が「日米が協調したから、もう円安には戻らない」とは考えていないことを示しています。介入の効果を持続させるには、日銀の金融政策、米国の金融政策、日本の財政政策、そして米国債市場の安定が必要になります。
今回の協調介入は、単なる為替市場における円買いを意味するものではありません。
為替、金利、国債、中央銀行の流動性供給を組み合わせて、世界の金融市場を安定させる新しい政策パッケージの始まりになる可能性があります。
今後、ドル円が再び160円台へと向かうのか、それとも155円を明確に割り込むのか。市場が見ているのは数字そのものではなく、日米当局がどこまで政策を組み合わせ、どこまで継続して市場に向き合うのかという「本気度」です。
今回の介入によって、為替市場のゲームのルールは新たな段階に入りました。これからのドル円相場を見る際には、為替レートだけではなく、日米の金利、国債市場、そしてドルそのものへの信認を同時に見る必要があるでしょう。



