ノーベル文学賞が10月8日午後8時に発表される。アルフレッド・ノーベルの遺言に基づき理想主義的傾向を持つ文学作品を顕彰してきたこの賞は、どの国の作家に光を当てるのか。世界で受賞が期待されている作家たちを紹介する。(敬称略)
村上春樹
【評価】1960年代の学生運動の時代を経験。当初は社会から距離を置き、『ノルウェイの森』などで愛と喪失、都会の孤独を描き、「デタッチメント」(無関心)の作家と呼ばれた。その後、阪神大震災やオウム真理教の事件を体験し、ノンフィクション『アンダーグラウンド』などを執筆。社会への「コミットメント」(関与)を強めた。80年に執筆した自身の中編小説を書き直した『街とその不確かな壁』を2023年に発表した。
【経歴】1949年、京都市生まれ。早稲田大卒業後、79年に『風の歌を聴け』でデビュー。長編『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)や『ノルウェイの森』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)などの人気作を発表。2009年から10年に『1Q84』を刊行した。サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』など翻訳も多くある。
【課題】1980年代後半以降、海外での翻訳が始まり、2006年にカフカ賞、09年にエルサレム賞など世界の文学賞を次々と受賞。現在は50言語以上に翻訳され、グローバリズムとネット社会を象徴する存在となった。一方で、ノーベル文学賞は人気作家への評価が厳しいとも言われ、この点がどう影響するのか。
多和田葉子
【評価】大学卒業後からドイツで暮らし、約40年になる。現地で大学院などに通う傍ら、日独2言語で作品を執筆。自分の母語の外に出てゆく「エクソフォニー」を唱え、国境や言語だけでなく、人間を縛るもの全ての壁を越えることを試みる執筆スタイルを貫く。海外での評価が高く、コロナ以前は世界各地を旅していた。
【経歴】1960年、東京都生まれ。早稲田大卒業後、22歳で当時の西ドイツに渡る。91年にデビュー後、93年に『犬婿入り』で芥川賞。『容疑者の夜行列車』で谷崎潤一郎賞、『雪の練習生』で野間文芸賞、『雲をつかむ話』で読売文学賞など、国内の主要文学賞に輝く。2018年に『献灯使』で全米図書賞翻訳文学部門を受賞。23年、ベルリンで独り暮らしをする日本人女性を描いた『白鶴亮翅(はっかくりょうし)』を刊行した。
【課題】『傘の死体とわたしの妻』など詩集のほか、戯曲も手掛ける。ピアニストの高瀬アキ氏と長年続けるパフォーマンスなど、様々な言語表現に取り組み、言葉の新たな可能性を切り開こうとする。このユニークさをアカデミーが正当に評価できるか。
閻連科(エン・レンカ)(中国)
【評価】代表作の一つ『愉楽』は、レーニンの遺体を購入して記念館を作り、観光客増加を図ろうとする中国の村を描く奇想天外な物語。そのほか、エイズ禍や大飢饉、経済発展が引き起こす矛盾などを描き、社会派の作家として知られる。2012年の莫言(モーイエン)に続く、中国在住のノーベル文学賞受賞者誕生が待ち望まれている。
【経歴】1958年、中国・河南省の貧しい農村に生まれる。幼い頃から草刈りや牛の放牧などを経験。高校を中退後、20歳で解放軍に入隊し、創作学習班に参加。80年代末から小説を発表し、旺盛な創作活動を続ける。エイズを扱った長編『丁庄の夢』がブッカー国際賞などの最終候補となる。2014年にカフカ賞を受賞した。
残雪(ザン・セツ)(中国)
【評価】現代中国を代表する作家。奔放な想像力で読者を迷宮にいざなう作家性は、フランツ・カフカらと並び称される。代表作の一つ『突囲表演』は、中国の架空の街を舞台に、家庭を持つ年齢不詳のX女史を巡る不義貫通の物語で、中国での単行本刊行時には性描写が大幅に削除された。西欧からの脱却を安易に唱える中国文壇を批判。自身の作品群を「新実験小説」と位置づけ、ヨーロッパ文学と向き合いながら創造性を高め続けている。
【経歴】1953年、中国・湖南省生まれ。新湖南報(現・湖南日報)で社長を務めていた父親と、人事課長だった母親が右派とみなされ、文化大革命が終結するまで差別や迫害を受けた。中学に進学できず、結婚後の80年代に創作を始めると、86年に事実上のデビュー作『黄泥街』を発表。国際ブッカー賞にノミネートされるなど世界的に評価が高く、ほかに『カッコウが鳴くあの一瞬』などの作品が邦訳されている。
アミタブ・ゴーシュ(インド)
【評価】ジャーナリストの経験があり、社会人類学者、思想家としての顔を持つ。物語性豊かでスケールの大きな作品を紡ぐ作家として評価が高い。2026年に邦訳が刊行された『銃ノ島』は、古書商の男が故郷のコルカタで「銃商人」の説話に出会い、謎を追い始めたことをきっかけに、気候変動や難民問題、南北の不平等格差などが描かれる。伝説と現実が魅力的に交差するハイブリッドな作品世界が展開する。
【経歴】1956年、インド・コルカタ生まれ。デリー大で歴史学を学ぶ。エジプトでのフィールドワークを経験し、オックスフォード大で社会人類学の博士号を取得。86年に作家としてデビューし、壮大な歴史大河小説『ガラスの宮殿』が世界的ベストセラーになる。現在はニューヨークに拠点を置く。フランスのメディシス賞や韓国の朴景利(パクキョンニ)文学賞などの受賞歴がある。
リュドミラ・ウリツカヤ(ロシア)
【評価】新潮社の外国文学シリーズ「新潮クレスト・ブックス」にも『通訳ダニエル・シュタイン』『ソーネチカ』などの作品が入り、日本でも愛読者が多いロシアの人気作家。反プーチン大統領的な立場を取っている。長編『緑の天幕』は、強権的な20世紀後半の旧ソ連で知性と自由を求めて生きた人々を描き出した名作だ。
【経歴】1943年生まれ。旧ソ連時代のモスクワ大生物学部で遺伝学を専攻。科学アカデミー遺伝学研究所に勤めていたが、サミズダート(自主出版)の非合法出版文学を読み、70年に解雇されたことが転機になる。92年に『ソーネチカ』で脚光を浴び、『通訳ダニエル・シュタイン』や『女が嘘をつくとき』などの作品を発表している。
ミハイル・シーシキン(ロシア)
【評価】海外でも人気が高く、プーチン政権下のウクライナ侵略に対して批判的な立場を貫くロシアの作家。日本でも翻訳された『手紙』(新潮クレスト・ブックス)は、現代のロシアに住んでいるらしい女性と、1900年の中国でロシア兵として義和団事件の鎮圧に参加していると思われる男性との2人が書簡を交わし合う感動的な小説だ。
【経歴】1961年生まれ。旧ソ連崩壊直後の93年に『皆を一夜が待っている』でデビュー。『イズマイル陥落』『ヴィーナスの毛(ホウライシダ)』などの作品があり、ロシア国内の主要な文学賞を全て受賞している。海外にも多くの作品が翻訳されている。『手紙』は2011年、ボリシャーヤ・クニーガ賞を受賞した。
ミシェル・ウエルベック(フランス)
【評価】政治や社会、宗教など、現在の問題にも斬り込んでいく先鋭的な作風で知られ、現代ヨーロッパを代表する作家の一人。「オートフィクション」と呼ばれる自伝的な作品が目立つフランスの文学の風潮とは一線を画し、社会的な広がりがある作品を書いている点でも評価が高い。『セロトニン』では、かつてフランスの農業食糧省で働いていた中年男性を主人公に、グローバル化が進む現在の高度資本主義社会の中で、揺れる人々や社会の姿を描き出した。
【経歴】1958年、フランス生まれ。98年『素粒子』が世界各国でベストセラーとなり、作品が映画化された。2010年『地図と領土』でゴンクール賞。フランスの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」銃撃事件が起きた15年、近未来の同国にイスラム政権が誕生する姿を描いた小説『服従』を発表し、センセーショナルな作品として議論を呼んだ。日本でも『ある島の可能性』『滅ぼす』『セロトニン』など多くの作品が翻訳されている。
ミルチャ・カルタレスク(ルーマニア)
【経歴】1956年、ルーマニア・ブカレスト生まれ。東西冷戦下で独裁的な政治を行ったチャウシェスク政権時代に学生生活を送る。大学を卒業後、教員や編集者などの傍ら、創作や評論活動を展開した。ルーマニア・ポストモダン文学の旗手とも言われ、『ノスタルジア』『ぼくらが女性を愛する理由』などの作品が邦訳されている。
サルマン・ラシュディ(イギリス)
【評価】歴史に翻弄される個人を、マジック・リアリズムの手法で描くスケールの大きな作風が持ち味。1981年のブッカー賞受賞作『真夜中の子供たち』は、30年間にわたるインド現代史を、インド人家族3代の運命を通して見つめた大作。88年出版の『悪魔の詩』は、預言者ムハンマドを侮辱しているとしてイスラム社会で反発が広がり、イスラム諸国で発禁処分に。イラン革命の指導者ホメイニ師から「死刑」の宣告を受けた。
【経歴】1947年、インドのムンバイ生まれ。裕福でリベラルなムスリムの家庭で育った。10代半ばで渡英し、その後に市民権を獲得。ケンブリッジ大卒業後も英国にとどまり、75年にデビュー作『グリマス』を発表。『悪魔の詩』を巡る死刑宣告以降、英国の治安機関に約10年にわたって保護された。近年は警護をつけていなかったとされ、2022年夏に米ニューヨーク州で刃物を持った男に首などを刺されたが、一命を取り留めた。
ダーチャ・マライーニ(イタリア)
【経歴】1936年、イタリア・フィエーゾレ生まれ。作家や詩人、劇作家として活躍する。民族学者の父、フォスコ・マライーニがアイヌ文化を研究するため、38年に一緒に来日し、父親が祖国のファシスト政権を否定したため、終戦までの約2年間を名古屋の強制収容所で過ごした経験を持つ。45年に帰国後、62年に『バカンス』でデビュー。作品に『帰郷 シチーリアへ』『シチーリアの雅歌』『ある女の子のための犬のお話』など。
マーガレット・アトウッド(カナダ)
【評価】2013年のノーベル文学賞を受賞したアリス・マンローと並ぶ、カナダを代表する女性作家。マンローが女性の日常に題材を取った短編の名手と言われるのに対し、アトウッドは、種の絶滅や遺伝子工学への警鐘を鳴らす『洪水の年』などをはじめ、SF的想像力を駆使したスケールの大きな作品が特徴だ。フェミニズム文学の旗手とも言われる。
【経歴】1939年、カナダ・オタワ生まれ。69年の『食べられる女』以降、小説家として高い評価を得た。出生率が低迷した全体主義国家で、妊娠可能な女性がエリート層の男性の家で子どもを産むために尽くすことを強いられる近未来社会を描く『侍女の物語』は、世界的なベストセラーとなった。『昏き目の暗殺者』『誓願』でブッカー賞を受賞している。
アン・カーソン(カナダ)
【経歴】1950年、カナダのトロント生まれ。英語圏を代表する詩人の一人だ。詩の枠に縛られず、ジャンル・形式の垣根を自由に越えて、言語芸術の可能性を広げている。98年『赤の自伝』は、詩と小説を融合させた「ヴァース・ノベル」で、古代ギリシャの神話を大胆に翻案した。同作は全米批評家協会賞候補となり、知名度を高めた。原民喜の小説「鎮魂歌」の引用で作られた対話詩「原民喜との対話」なども発表している。
ジョイス・キャロル・オーツ(アメリカ)
【評価】貧困、いじめ、女性や人種差別などの問題を描き続け、現代アメリカ文学の中で最も重要な作家の一人と言われる。子どもの頃に読んだ『不思議の国のアリス』に影響を受けたと語り、おとぎ話のような寓話的な作品やフェミニズム的な視点をにじませたヤング・アダルト作品など、様々なものを書く多作な作家としても知られる。短編の名手としても有名で、英語圏で広く親しまれている。
【経歴】1938年、アメリカ・ニューヨーク州生まれ。大恐慌後の小さな田舎町で育ち、大学に進学した。19歳のとき、雑誌「マドモアゼル」が主催する短編小説のコンクールで優勝した。68年『かれら』で全米図書賞受賞。著書に『ブラックウォーター』『邪眼』『とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢』など。名門として知られるプリンストン大の教壇にも長く立ち、後進の作家を育てた。
ドン・デリーロ(アメリカ)
【評価】フィリップ・ロスやコーマック・マッカーシーらと並び、現代のアメリカ文学を代表する作家。消費社会やメディア社会などに埋没する現代人たちと向き合ってきた。スウェーデン・アカデミーは、2016年に歌手のボブ・ディラン、20年に詩人のルイーズ・グリュックに賞を贈ったが、米国文学の「本流」の作家たちとどう向き合うのか。
【経歴】1936年、ニューヨーク・ブロンクス生まれ。71年に『アメリカーナ』でデビューし、85年に『ホワイト・ノイズ』で全米図書賞を受賞した。ほかの作品に『リブラ』や『墜ちてゆく男』、短編集『天使エスメラルダ―9つの物語―』など。ネット社会と金融不安のテーマが色濃くにじむ『コズモポリス』は、映画化されている。
北島(ベイ・ダオ)(アメリカ)
【経歴】中国現代詩を代表する在外詩人。1949年、北京に生まれる。文化大革命で学業の中断を余儀なくされ、21歳頃から詩作を始めた。78年に文学雑誌「今天」を創刊。沈思黙考の底から湧き上がる自在なイメージを刻む「イマジズム」の手法を駆使し、「新詩潮詩」の中心的な存在として活躍した。代表作に長詩『白日夢』(86年)など。天安門事件後に欧州各地を転々とし、93年以降は米国に移住。米国籍を取得している。
トマス・ピンチョン(アメリカ)
【経歴】現代の米国文学を代表する覆面作家。1963年に『V.』でデビュー。第2作『競売ナンバー49の叫び』でポストモダン文学の書き手として評価が定まる。『重力の虹』は、戦争や性、人種、音楽や映画など、あらゆる要素を注ぎ込んだ法外なスケールの超大作。新潮社から「トマス・ピンチョン全小説」が刊行されている。ノーベル文学賞を受賞すれば、インパクトと話題性は間違いなしだ。
ジャメイカ・キンケイド(アメリカ)
【評価】ポスト・コロニアル文学の旗手。著作の中で、帝国主義への批判的な態度を明確に打ち出していて、英国内での評判が芳しくない時期もあったとされる。エイズで死去した実弟のことを綴った回想録『弟よ、愛しき人よ メモワール』(1997年)は、全米図書賞ノンフィクション部門の最終候補に選ばれた。作品に流れる植民地支配に対するむき出しの怒りが、どう評価されるのか。
【経歴】1949年、当時英国領だった西インド諸島のアンティグア・バーブーダに生まれる。16歳になった直後に渡米し、故郷の家族を経済的に支援。76年にニューヨーカー誌の専属ライターになり、79年に米国の作曲家と結婚。同誌に掲載された短編を中心に編んだ『川底に』(83年)を手始めに、母からの自立を追い求めるヒロインを描いた中編『アニー・ジョン』(85年)などを発表している。
アドニス(シリア)
【経歴】1930年、シリアに生まれる。現代のアラブ世界を代表する詩人。父親の教えでコーランだけでなく、幼い頃から詩に親しんだ。55年のシリア国民党弾圧にともない投獄される。釈放後レバノンへ移住。80年にフランスへ亡命した。フーリア・アブドゥルアヒドが聞き手を務めた『暴力とイスラーム 政治・女性・詩人』が邦訳されている。
セサル・アイラ(アルゼンチン)
【経歴】1949年、アルゼンチンのコロネル・プリングレス生まれ。75年の小説『モレイラ』を手始めに、多くの作品を発表。ある「少女」が体験する出来事を、荒唐無稽と不条理が入り交じった展開で描く『わたしの物語』や、小説家でマッドサイエンティストの男がある文豪のクローンを作ろうとたくらむ表題作を収めた『文学会議』など、奔放なラテン・アメリカ文学の作風を受け継ぐような小説が人気を集める。
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(ナイジェリア)
【評価】英語を使って創作するアフリカ出身の作家として、高く評価されている。ナイジェリアに生まれ、大学留学のため19歳で渡米後に創作を始めたという。出世作となった長編『半分のぼった黄色い太陽』は、多くの犠牲者を出したナイジェリアのビアフラ戦争を題材とした人間ドラマだ。一方で、2010年に来日した際には、自分が「興味があるのはありのままのアフリカ、生きているアフリカを書くこと」と話し、「飢餓や貧困、エイズ。そんな型にはまったイメージを打ち破ることにもっと挑みたいと思った」と語っている。その出自から、著者の抱える背景について語られることが多いが、「私の作品をマルチ・カルチュラル(多文化的)などと語る人は、白人でない女性の著者という点しか見てないと思う」ときっぱりと言い、硬派な問題意識を見せた。
【経歴】1977年、ナイジェリア生まれ。2007年、『半分のぼった黄色い太陽』でオレンジ賞受賞。13年『アメリカーナ』で全米批評家協会賞受賞。『パープル・ハイビスカス』、『なにかが首のまわりに』など多くの作品が邦訳されている。エッセイに『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』などがある。
アレクシス・ライト(オーストラリア)
【評価】1950年、クイーンズランド州に生まれた。オーストラリアの先住民文学を代表する作家。父親は白人で、アレクシス・ライトが5歳のときに死亡した。創作だけでなく、長く中央オーストラリアのアリス・スプリングズに住み、先住民の権利獲得運動の活動を続けてきた。現在はメルボルン在住。『約束の土地』などの小説があり、オーストラリアの文学賞を受けている。邦訳に『地平線の叙事詩』がある。
【経歴】白人の入植から現在につらなる「歴史」が始まったオーストラリアでは戦後、多文化的な政策が導入された。それに伴って、白人系の作家だけでなく、アジアなど様々な文化的背景を持った移民系の作家、先住民やその子孫の系譜を持つ作家など、多様な文学空間が生まれたと言われる。オーストラリアの受賞者は、1973年のパトリック・ホワイトらが知られる。受賞が実現すれば、現代の豊かなオーストラリアの文化・文学を象徴する出来事となるだろう。