富士山宝永噴火で埋もれた江戸の集落、専門家「ポンペイに比肩」と評価
富士山宝永噴火で埋もれた集落、専門家「ポンペイに比肩」

1707年の富士山「宝永噴火」による火砕物に埋もれた集落が、いまも静岡県小山町の地中に眠っている。駿河国と甲斐国を結ぶ交通の要所で、富士山信仰の登山拠点として栄えた、江戸時代の須走村だ。発掘調査ではその生活ぶりがわかる食器なども出土した。専門家は、同じく火山噴火で埋没した古代ローマ帝国の都市ポンペイにも比肩する価値を持つ遺跡だと指摘する。

宝永噴火の概要と被害

宝永噴火は1707年12月16日に始まり、約2週間にわたって大量の火山灰(2ミリ未満)や火山礫(2~64ミリ)などの火砕物を噴出した。噴出物は東へ広く降り積もり、東京都新宿区や千葉県八街市でも確認されている。

小山町史によると、須走村には10尺(3メートル)の降灰があり、36軒が焼け、37軒が倒壊したとされる。小山町教育委員会などによると、古文書などから、噴火による直接的な死者はいないとみられるという。

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地中レーダー探査による調査

東京大学大学院総合文化研究科の杉山浩平特任研究員は2017~26年、高周波の電磁波で地下の状況を調べる「地中レーダー探査」を用いて調査を続けてきた。40カ所で調査した結果、地下1.5~1.8メートルに、江戸時代の地表面や建物跡を確認。焼失したり潰れたりした家屋の範囲がおおよそ判明したという。

これまでに計3回にわたって発掘調査が行われ、銚子や食器、建材などが出土している。民家の駐車場で発掘された江戸時代の家屋では、屋根や梁などが出土した。

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