長崎純心大博物館、指定30年 永井隆博士資料など5000点以上収蔵
長崎純心大博物館、指定30年 永井隆資料など5000点以上

長崎市の三ツ山(帆場岳)地区にある長崎純心大博物館は、博物館法に基づく指定施設となって今年で30年を迎えた。カトリックや「長崎学」の歴史資料をはじめ、被爆医師・永井隆博士(1908~51年)の関係資料など5000点以上を収蔵している。

潜伏キリシタン資料と長崎学の拠点

博物館は1992年、前身の純心女子短大時代に付属歴史資料博物館として開館。1996年に長崎県から博物館法に基づく相当施設(現・指定施設)の認定を受け、県内唯一の大学博物館となった。

収蔵品にはイエズス会年報やマリア観音など潜伏キリシタン関連資料、長崎の文化・美術資料が含まれる。名誉教授で郷土史家の越中哲也さん(2021年に99歳で死去)の寄贈資料もあり、「長崎学」研究の拠点の一つとなっている。

被爆の記憶を伝える展示

学芸員の神崎香澄さん(35)は「湿度や温度管理を徹底した収蔵庫には多くの紙や物の資料がある。その一つ一つに、歴史を生き抜いてきた人たちの記憶がしまい込まれている」と話す。企画展では展示物の来歴を可能な限り調べ、当時の人々の生きた証しが伝わるよう心がけているという。

第2次世界大戦中、長崎純心高等女学校(当時)の生徒の多くが「純女学徒隊」として軍需工場に動員され、原爆で教職員を含む214人が犠牲となった。毎年夏には、生徒たちが残した手記や制服などの遺品を展示し、戦争の悲惨さと平和の尊さを訴えている。

永井博士とのゆかり

永井博士と初代学園長の江角ヤスは同じ島根県出身で親交があった。博士はカトリック信徒で、同女学校教員だった片岡弥吉氏と信徒組織が同じだった。博士の妻・緑さんは家庭科教員として同校で勤務し、次女の茅乃さんは戦後の純心女子高の卒業生だ。

博物館には博士の作品や緑さんの遺品が保管されている。同校にある校墓「慈悲の聖母」の台座には、亡くなった純女学徒隊の生徒たちを悼む博士の短歌が刻まれている。

今後の抱負

神崎さんは「博物館の顧問でもあった越中先生は、『長崎のものは、長崎にないと意味がない』と話されていた。開港以来、特異な歴史を歩んできた長崎。貴重な資料を最も良い状態で次の世代に残し、伝えていくことが使命だと感じている」と語る。

開館時間は午前10時~午後4時(土曜日は午後2時まで)。原則、日曜・祝日が休みで、入館無料。問い合わせは同館(095・846・0102)へ。