夏休みには、家族で毎年のように海水浴に出かけ、星ヶ浦のヤマトホテルに泊まっていた。はるか沖には赤いブイが一直線に並び、その先は水泳禁止を示していた。内側には酒樽を四角く繋いだブイも浮かび、泳ぎの達者な大人や男の子がその樽を目指して泳ぎ、休憩して戻る姿があった。女の子はほとんどいなかった。
美貴子、酒樽のブイへ挑む
美貴子は浅瀬で富美子と遊ぶことに飽き、夏の陽を照り返す海に誘われるように感じた。自分なら泳いでいけるかもしれないと思った瞬間、ビーチパラソルの下にいる浴衣姿の母に「私、あそこまで行ってきます!」と告げ、熱い砂浜を駆け出した。母の「美貴子さん! おやめなさい、美貴子さん!」という声が背中から追ってきたが、聞こえないふりをした。
スタートしてしばらくはクロールで進み、沖が近づくにつれて平泳ぎに変えた。疲れたときは仰向けに浮かび、どこまでも青い夏の空と、自分の体を包む青い海を見上げた。大きなものに包まれているような安心感と浮遊感を覚え、幼い頃に亡くなった実母の腕の中に抱かれていたときの感覚を思い出した。目の端に涙が浮かんだ。
足が攣り、沈みかける
新しい母にはわだかまりを感じることはないが、それでも亡くなった母が恋しい夜もあった。「お母様、どうして私を残して死んでしまったの」という思いを振り払うように再びクロールで進むと、酒樽のブイがすぐそこに見えた。そのとき、右足が激しく攣った。
立ち泳ぎをしたまま右手で右足をつかんだが、より激しい痛みが襲い、顔が海に沈んだ。痛みで顔が歪み、両腕で無理矢理海水をかいても体は自然に沈んでいく。死を意識した瞬間、「私、海で死んでしまうの? だったらお母様のそばに行けるのかもしれない」と思ったが、その直後に父と母、富美子の顔が浮かび、級友や先生たちの顔も浮かんだ。