Mrs. GREEN APPLE(ミセス)が9月30日、新アルバム「POPS」(ユニバーサル)をリリースした。国内チャートを席巻し、日本レコード大賞やMUSIC AWARDS JAPANなど名だたる音楽賞を総なめにする時代の寵児は、いま何を考え、この先に何を目指しているのか。ボーカル・ギターの大森元貴が取材に応じ、心の内を大いに語った。
「意図してこうなっています」
――いまや国民的バンドと称される存在になっています。明確にそういう存在になろうという意図をもって活動されてきたのでしょうか。
意図してこうなっています。「フェーズ1」(※)が終わって、活動休止中にやりたいことを100個ぐらい書いたんです。それがほぼ、かなった「フェーズ2」でした。“意図して”と言っても「次はこれをかなえるためにみんな動いてくれ」と話をしたのではなくて、1回書きつづってチームに展開したことに意味があって。みんなの志を同じ方向にして活動できたというのが大きかったです。(※ミセスは活動を段階ごとに区別している。結成から2020年7月8日までが「フェーズ1」、その後の活動休止を経て22年3月18日から25年末までが「フェーズ2」、26年から「フェーズ3」に入っている)
――国内でこれだけの評価を受けると次は海外へ、という発想もありますが、いかがでしょうか。
海外に行くということ自体が、あんまりピンときていなくて。というのは、もうこの時代、SNSも(楽曲の)リリースも、世界に(向けて)やっていることなので、そもそも日本市場だけに収まろうと思って活動していないんですよね。海外仕様にするために、何か自分らの形を変えるというのは海外に対しても、日本でやってきたことに対しても失礼なので、理想は「おすし」のように和食展開できることですね。「日本だけにとどめたいんだ」とも思っていないし、「海外に行きたいんだ」という発想すらない、というのが僕の中で正しい感覚です。生まれた瞬間からもう世界だっていう気持ちで。
多忙な中で俳優活動するのは…ワクワクしたい
――アーティストとして多忙を極める中で、俳優活動までされているのはなぜですか?
ワクワクがインフレを起こして、自分にワクワクできなくなることを一番恐れているんです。色んなことを経験させてもらって、新しいことをやって、そこでのワクワクと刺激を(音楽に)還元するのは、必然的に大事な気がしていて。もちろん忙しさはあるんですけれど、それよりもこの忙しさの中に流れていって、自分にワクワクできないことの方がよっぽど罪深い気がするんですよね。
――ここまで数々の目標を達成してこられて、この先は何を目指すのでしょうか。
(目標は)尽きないですよ。具体的にと言われてしまうと難しいけど、やっぱり形容できない何かになっていくべきだと思うんです。新しいエンタメがもう生まれない、飽和状態な気がしているんですが、そこに対して、何か刺激でありたい。「これ見たことあるな」ではなく、「想像つかないよ、これ」っていうことを更新し続けたいんです。そういう気概は忘れずにいきたいなと。
――それは国民的バンドという肩書を背負う気持ちとも重なっているのでしょうか。
バンドって、本当に難儀な人たちの集合体で、「分かってくれる人が分かりゃいいよ」という精神で成り立っているものだけど、(自分たちは)そう言わないということが、国民的なものを背負う覚悟と同義で繋がっているんです。今のミセスがこれだけ好きなことを色々とやらせてもらっている中で、急に「いや、分かんなかったらいいよ」と言うのって、めっちゃダサいじゃないですか。それをしない覚悟を持つというのが、もうこの(「POPS」という)タイトルです。
「POPS」というタイトルの意味
――国民的バンドとしての自覚を持つ中で、「POPS」というタイトルを掲げられたということですが、そのことが持つ意味を教えてください。
非常に大きいタイトルで、本当につけるかどうか、ギリギリまで迷いました。ポップスって、ただただ明るいという意味ではなく、大衆的、商業的という意味なので「(ポップスから)ズレていくんじゃねえぞ」と、自分らに対してスローガンのようにつけた感覚です。多くの人に届けるために、どういう心がけ、どういう気概、どういう覚悟が大切なのかを今一度、考える。そのためのタイトルです。
――どういうことが大切なのか、現時点ではどうお考えですか。
(ポップスは)向かう場所を照らしてくれる、人にパワーを届けられる存在であるべきだと思うんです。そのためには、明るいことだけ歌っていればいいわけじゃなくて、多くのドキュメンタリー性をはらんでいなきゃいけない。まぶしさの中に、届ける側も目がくらんでしまったらしょうがないので。例えば僕は、孤独感があること、愛に飢えていることが、ポップスを掲げるうえでどうしても剥がせなかった。でもそれが、僕が僕である理由、僕が僕である必要性で、そういうところをポップスとして掲げて明るくパッケージするのが、生きざまそのものというか。陰の要素から目を背けないことが大衆的であることに必要で、きれい事を歌うことが決してポップスではないと思ったというのが、僕の中で大きい。美学かなと思います。
ミセスって結局何なんだろう…バンドだよね
――認知を広げるための「フェーズ2」に対して、今年からの「フェーズ3」は理解を深めてもらうための期間と位置づけられていますね。その「フェーズ3」の最初に出すアルバムとしてはどういう意味合いを持つのでしょうか。
バラエティー番組など、ありがたいことに色々と活動の場が増えてきた中で、僕が斜に構えてミセスを見た時に「この人たちは結局、何なんだろう?」とすごく思うんです。そう思った時に「いや、バンドだよね」って。(今作には)バンドのフラストレーションとか、精神性がかなり投影されていて、歌詞もすごく内省的な言葉が増えて、僕が書く必要がある曲しかないんです。もちろん、今までもそうですけど、より濃くなっている。タイトルを隠してトラックだけを聴くと、「POPS」とは名付けないだろうって曲目だらけで、「シンデレラ」とかもめっちゃ暗い曲なので。でも、それをポップスと言うことに面白みを感じています。
――収録曲の「瞞し」の歌詞にある<もういいや>というトーンは、これまでになかったのかなと。
「瞞し」は、ここまで歌っちゃっていいものなのか、僕の中でも挑戦でした。でも、そのネガティブな気持ちがあるから、よりポジティブなことを歌っていることに意味があって、コントラストがとても強く出るアルバムにきっとなるなって。
――アルバムとして出すことに意味が生まれると。
まさにそうです。
――一方で、「瞞し」だけを聴いた人が、もういいや、という気持ちを深めてしまう怖さも……。
ありますね。でも、僕はストリーミングベースの作曲をしていなくて。そもそも「ライラック」(24年4月リリース)のイントロがめっちゃ長い(※)のも、ああいう形で評価いただけたから結果論として良かっただけで、そもそも時代に逆行した曲を書いちゃっているので。そこに関しては商業作家じゃなく、芸術作家としてプライドがあるんです。書きたいものをとにかく書く。届けるうえでどういうふうにパッケージしてリーチするのかだけ商業的に考える。そういう二面性はありますね。(※約26秒、複雑かつ高難度のギターフレーズが展開される。短いイントロが好まれる時代とされる中、ビルボードジャパンの集計で累計再生回数10億回を超えた)
そもそも卑屈な人なので
――ネガティブな歌詞は大森さん個人の中にあるものなのでしょうか。
あります。もう、結成当時からあります。そもそも卑屈な人なので。教室のすみっこにいて、ワーッてなって(盛り上がって)いる人たちをにらんでいたので。で、ワーッてなっていたのが若井(滉斗、ギター)だった(笑)。バンドを始めて、若井もミセスになって、僕は通信制(高校)だけど若井は全日制で、学校終わって制服でスタジオに来られるのがすごく嫌で「着替えて」と言ったりもして。でも、その僕のモヤモヤみたいなものを、若井と藤澤(涼架、キーボード)がトリートメントしてくれる。(それで)成り立っているトライアングルなんですよ。だから、ミセスがものすごくポップなものだと世間に捉えていただいているのは2人のおかげです。「POPS」というタイトルと中身がもうまさに、ミセスを体現しているんですよ。
――大きな期待を背負う中で曲作りに臨む心境とは、どのようなものでしょうか。
絶対に世間より僕の方が、僕に対する目が厳しいんで、僕が面白いなと思ったものをちゃんと更新できればいいなというだけです。僕は、自分に対して超・斜に構えているので。冷笑文化とか今、言われますけど、何とも思わないですね。僕が僕自身に対してどれぐらい冷笑しているか、世間は知らないだろ、みたいな(笑)
――自らとすごく戦っているのだなと感じました。その精神性はどこから生まれてくるのでしょうか。
自信がないんでしょうね。自分に対して認められないところがあるから、戦っている姿とか、頑張っている姿を唯一、褒めてあげたい。そういうところからくるんじゃないかな。理解されない感覚というか、自分が自分をどうやったら理解できるんだろうとか、モヤモヤしているのは幼少期からずっとあって。「もっとできるはずだ、もっとできるはずだ」って、自分にずっと期待していたいんでしょうね。
クリエイターは破壊と再生を繰り返すもの
――今作で自分を認めることはできたのでしょうか。
いやいやいや、このアルバムを作って、自分が何かクリアしたとは思っていないです。これはもう一生続く命題というか、性分なので。でもそれを楽しむ、そういう自分の性分をエンタメ化することが、ミセスに期待する部分というか。ミセスはどうやってもポップに昇華してくれるので、僕自身の人生が作品になっちゃっているというか。そういうことで、自分の人生と折り合いをつけたところがあります。
――大衆的な人気を得ると、エッジの利いたことをするとファンが離れていくのではないかという心配も出てくるのかなと思いますが、どう折り合いをつけているのでしょう。
(そうした不安は)ないと思っていたんですけど、意外とあって……。3世代、もっと言うと4世代にわたってご家族でライブを見に来られている方の姿とかを見ると、「絶対裏切れねえな」って気持ちになるわけですよ。でも、クリエイターは破壊と再生を繰り返すものだと勝手に思っちゃっているので、出すアルバムごとに、今作は今作の発見、次作は次作の発見があるべきだと思うんです。そのジレンマみたいなものがすごく今作、ありましたね。本当に毛色が違う曲がそろっているので、「私はこの曲が好きだわ」「俺はこの曲が好き」「この曲は何か、そんなかな」って言われる覚悟を持つというのも一つ、クリエイターとして大事なことかなと。
でも、どうせ破壊と再生を繰り返しちゃうので、存在として好いてもらえるように頑張らなきゃなと思っています。いまは試食っぽく音楽をつままれちゃう時代で、そこを逆算してクリエイターも書くようになっちゃっていますけど、そうじゃなくて、新作が出たから好き嫌い関係なく「聴かなきゃ」って、一つの軸として興味を持ってもらうのが、グループとして大切なことかなと思います。
一生書けるかと言われたら、絶対にそんなことない
――最近の潮流で言えば、音楽業界にAI(人工知能)による創作が参入してきている現状に対してはどうお考えですか。
(AIが)色々なヒントになったり、手助けしてくれることはあってしかるべきだとは思います。DTM(デスクトップミュージック)もそうじゃないですか。そういうふうに扱えばいいんじゃないかなと。
時代の話になっちゃうけど、自分を認めることとか、自己愛みたいなターム(時期)が終わろうとしていて、次は他者との繋がり、隔たりとか、破綻、矛盾とかのタームがくる気がしています。それって、AIじゃ絶対表現できないものだと僕は思っているんです。そこに価値を見出すタームに入ってきたら、AIとの競合という単一の軸ではなくなるんだろうなと。
――今作の歌詞も決してAIには書けない?
僕はそう信じていますけどね。矛盾だらけなので。それが人らしいというか、僕のドキュメンタリー性なので。
――創作意欲が枯渇することはないですか。
……分からないですね。今のところないですけど、人生で書ける曲(の数)は決まっていると思っているので。1000曲だったら1000曲の中でどうやって切り崩していくかという感覚なんですよ。5か月連続(新曲リリース)、6か月連続(同)という24年、25年の施策は、作家としての寿命を削ることだって分かりながらやっていたんです。だから、一生書けるかと言われたら、絶対にそんなことはないと思います。