東大寺再建に尽くした重源と豪族・田口成良の物語を書籍化、史実と創作で描く
東大寺再建の重源と豪族・成良の物語を書籍化

平安時代末期から鎌倉時代にかけて東大寺の再建に尽力した高僧・重源(ちょうげん)と、その活動に関わりがあったとされる四国の豪族・田口成良(しげよし)を描いた「大仏復興ものがたり」が自費出版された。著者は奈良徳島県人会相談役の本出良一さん(78)で、2人の直接の親交を示す史料はないものの、想像を膨らませて成良を「復興の大事な一翼を担った人物」と読み解いている。

史実と創作で構成、2人の心情を大胆に描写

成良は阿波(徳島県)や讃岐(香川県)を支配し、阿波民部大夫と呼ばれた。平清盛に仕え、1180年の南都焼き打ちでは先陣を務め、壇ノ浦の戦いで源氏方についたものの、鎌倉で処刑されたと伝わる。重源は清盛の死後、東大寺勧進職に任命され、大仏や大仏殿を再建した。

著書は、史実を踏まえながら再建に至るまでを記した第1部と、創作の第2部「重源と成良ものがたり」で構成する。本出さんは「成良が大輪田泊(神戸市)の築港奉行だったことから、2人が日宋貿易などを通じて親交があったとしても不思議はない」などと推察し、出会いと別れ、それぞれの心情を大胆に書いた。

成良の悔恨と復興への貢献を推測

また、成良は焼き打ちに加担しながら、悔いて復興のために資材や食料を提供したと推し量る。重源に会う場面では、「風が強かったとはいえ、あそこまで火の手が拡(ひろ)がるとは…。特に東大寺と大仏さまを焼いてしまったことは、いまだに大きな禍根として残っております」「お役に立つのであれば、できる限りのことをさせていただきたい。何でもお命じくだされ」と語らせている。

ただ、2人の関係がうかがえる史料はほとんどない。重源の事績を集めた「南無阿弥陀仏作善集」によると、成良が建立した阿波の仏堂が東大寺の浄土堂(俊乗堂)に移築され、仏像9体が運ばれた。その願主は成良だったとしている。江戸時代初期の「東大寺寺中寺外惣絵図」には、浄土堂近くに成良の供養塔が源頼朝の石塔とともに描かれている程度だ。

合同法要の経緯と今後の展望

成良の拠点の一つだった徳島県神山町にある吉祥院と東大寺の合同法要が10月8日、昨年から同寺俊乗堂で営まれるようになった経緯も説明している。吉祥院は、若い頃の重源も修行したとされる寺。新居道戒住職は2024年秋、成良の石塔があったとされる東大寺で供養したいと申し出たところ、焼き打ちで犠牲になった人々への供養も込めた合同法要が実現した。

本出さんらは、法要の準備に尽力する過程で成良の存在を初めて知った。「復興の功労者ではないか」と着目し、奈良、徳島をつなぐ2人の人物をもっと知ってもらおうと、書籍化した。本出さんは「今後も法要が末永く続くことを願い、多くの人に読んでもらいたい。裏切り者や大罪人のイメージがある成良だが、本当はどんな人物で、何を思っていたのか。これを機に成良の研究が進んでほしい」と話している。

書籍はアマゾンからネットによる注文方式で販売。製本版1980円、ネットによるKindle版1210円(いずれも税込み)。