ドラフト会議、22日開催 歴史彩った騒動と今年の注目選手は
ドラフト会議22日開催 歴史彩った騒動と注目選手は

プロ野球をめざす高校生、大学生、社会人の運命を分けるドラフト(新人選択)会議が、22日午後5時から東京都内で開かれる。名前は呼ばれるか、どの球団が交渉権を得るのか。制度の成り立ちや過去の事件、今年の注目候補を紹介する。

ドラフト会議はなぜ始まったのか

選手の獲得は1964年まで自由競争だった。ただ、激しい獲得合戦で契約金は高騰する一方。有望選手が人気球団に集中することで球団間の戦力差が広がり、興行として魅力が薄れることも懸念された。

その結果、米プロフットボールリーグ(NFL)を参考に、1965年11月17日、東京・日比谷の日生会館7階の会議場で第1回ドラフト会議が開かれた。この時の巨人の1位指名は堀内恒夫さんだった。

指名順位と制度の変遷

制度は時代とともに変わってきた。大学生、社会人が入団先を選べる「逆指名枠」は、裏取引の温床になるとして廃止。「高校生」と「大学生、社会人」で指名枠が分かれていた時期もあったが、現在は一本化されている。

1位指名が重なった場合、2008年以降は全て抽選で交渉権を確定させる。2位以降は各リーグの下位球団から順に指名する「ウェーバー制」を採用。今年はパ・リーグ6位、セ・リーグ6位、パ5位、セ5位……の順。新人の契約金は最高1億円プラス出来高払い5千万円、年俸は1600万円までと決められている。

制度を揺るがした「空白の一日」事件

制度を揺るがしたのが、江川卓投手と巨人をめぐる「空白の一日」事件だ。1978年11月21日、巨人は江川投手と選手契約を結んだ。前年のドラフトで西武が交渉権を得ていたが、野球協約に基づく交渉期限は20日に切れていた。巨人はドラフト会議前日の「空白期間」を利用して契約したが、結局、契約は無効とされた。

巨人はドラフト会議を欠席。江川投手の交渉権は阪神が獲得し、その後の交換トレードで江川投手は巨人に入団した。

「珍事」として記憶されているのは、2015年のドラフト会議だ。東京六大学リーグで歴代最多の131安打をマークした明治大の高山俊外野手をめぐって、阪神とヤクルトの1位指名が重なった。抽選の結果、ヤクルトの真中満監督がガッツポーズ。だが、くじに印刷されていたNPB(日本野球機構)のロゴを見て、「交渉権を獲得した」と早とちりしていた。

「交渉権獲得」と書かれたくじを引き当てたのは阪神だった。翌年以降、外れくじは白紙となり、勘違いは起きにくい仕様に変わった。

史上最多の8球団競合と下位指名からのスター

1位指名が重なった際の抽選は、ドラフト会議のハイライトだ。史上最多の8球団が1位指名した選手が2人いる。一人は、社会人の新日鉄堺でプレーしていた野茂英雄投手。1989年のドラフト会議を経て、近鉄に入団すると、新人から4年連続で最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得した。94年オフに渡米し、日本人大リーガーの先駆者となった。

1990年には亜細亜大の小池秀郎投手に8球団が競合。ロッテが交渉権を得たが入団を拒否し、社会人野球の松下電器(現パナソニック)を経て、92年に近鉄入りした。97年には、パ・リーグの最多勝に輝いた。

プロに入ってしまえば順位は関係ない。指名順が低くても、大きく飛躍する選手は少なくない。オリックスの4位指名から大リーグへ羽ばたいたのが、イチローさんと山本由伸投手だ。

1991年に愛知・愛工大名電高の鈴木一朗外野手(後のイチローさん)が4位指名を受けた。3年目の94年から7年連続で首位打者に輝き、2001年に大リーグで首位打者とシーズンMVPを獲得。日米通算4367安打を積み重ね、25年には日米両球界の殿堂入りを果たした。

16年に4位指名された宮崎・都城高の山本投手は、21年から3年連続で先発投手最高の栄誉とされる沢村賞を受賞。大リーグ・ドジャース移籍2年目の25年にはワールドシリーズのMVPにも輝いた。

育成指名からはい上がった千賀滉大投手もいる。愛知・蒲郡高時代は無名だったが、地元のスポーツショップ店長の推薦をきっかけに、ソフトバンクから育成4位指名を受けた。現在は大リーグでプレーしている。

今年の注目選手

高校生で注目を集めているのが、山梨学院の菰田陽生選手だ。身長195センチ、体重102キロの体格で高校通算39本塁打を放ち、投げても最速152キロ。プロでも投打の「二刀流」に挑む意向を示している。

大学では、過去3年連続でドラフト1位が2人誕生した青学大のバッテリーに注目が集まる。最速155キロ右腕・鈴木泰成投手はしなやかなフォームと落ちる変化球が持ち味。主将の渡部海捕手は智弁和歌山高2年で全国制覇を経験し、強打も魅力だ。

この夏、甲子園大会史上最速の156キロを計測した織田翔希投手は、アメリカ球界挑戦の意向をすでに公表している。ただ、プロ志望届を提出しており、制度上はどの球団も指名できる。

12年には、大リーグ挑戦を表明していた岩手・花巻東高の大谷翔平選手を日本ハムが1位指名。粘り強い交渉の末に入団が決まり、スーパースターへと成長した。