「不滅」宣言後の現役続行
1974年10月14日、東京・後楽園球場。長嶋茂雄さんは「我が巨人軍は永久に不滅です」の名言を残し、現役引退を表明した。しかし、その直後から11月にかけて行われた日米親善野球で、長嶋さんは巨人軍の一員としてメッツと対戦。引退セレモニー後も「選手」として試合に出場していたことはあまり知られていない。
松山での熱戦
「不滅」宣言から約1か月後の11月12日、松山市営球場(現・城山公園)で巨人対メッツ戦が開催。曇り空の平日昼間にもかかわらず、ミスターの雄姿を一目見ようと2万5000人の超満員となった。長嶋さんは3番サードで先発し、初回に三遊間を抜く痛烈なゴロで2打数1安打を記録。試合は九回にメッツの3点本塁打で巨人が5-7と逆転負けしたが、読売新聞は「反撃2ランに逆転3ラン」「松山の声援に発奮」と報じた。
さよならツアーとしての日米野球
当時、ファンの関心は長嶋さんの引退に集中しており、日米野球は実質的な「さよならツアー」だった。新潟では2安打を放ち、ご機嫌でベンチに引っ込むと観客から「長嶋をコーチに出せ」の声。ファンサービスを信念とするミスターは七回に三塁コーチ、八回には一塁コーチを務めた。札幌ではパンをほおばる途中に強引に三塁コーチへ引っ張り出されたという逸話も残る。
驚異の打率4割超え
長嶋さんは後年、読売新聞の連載「時代の証言者」で引退理由を「ボールを真っ芯でとらえても、内野手の正面に飛んでしまう。執念がバットに乗り移らない」と語った。しかし、日米野球18試合中17試合に出場し、27打数12安打、打率4割4分4厘の高打率を記録。メッツの選手は「あれだけ鋭くバットを振り切れるバッターがなぜやめてしまうのか」と引退を惜しんだという。
追悼展の開催
「長嶋茂雄追悼展 ミスタージャイアンツ 不滅の背番号『3』」が7月22日から8月3日まで、松山市のいよてつ高島屋で開催される。入場料は一般1200円(前売り1000円)、高校大学生1000円(同800円)、中学生以下無料。市営球場跡地の城山公園には、長嶋さんが立ったバッターボックスとホームベースが埋め込まれ、往時をしのばせる。



